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帰省して気付く時間の流れと変化

世はまもなくお盆シーズン。

私も早めの夏季休暇で、実家へ帰省している。
ただし、今回はいつもと少し事情が違う。

母親が手術することになったのだ。命に関わるようなものではないが、持病があるため、万が一に備えて付き添いをしてほしいと病院側から依頼を受けた。また、何事もなく手術が終わっても、容態が安定するまでの数日間は入院する必要があるとのこと。
実家には父親も同居しているが、所謂典型的な昭和の男で、家事が全くできない。一人暮らしをしたことがないため、洗濯機の回し方さえ分からなかった。

そんな父親と会うのは半年ぶり。久々に2人だけ顔を合わせると、見ない間に一層老けた印象を受けた。

親子とは面白いもので、お互いに持ってる相手のイメージは若い時のままだ。当たり前だが、相応の時が流れてるにも関わらず、頭の中に浮かぶ相手の表情は当時のまま。

だからこそ、相手の顔に刻まれた時の流れを見付けるとドキッとするのだろう。

手術日当日、始まるまで少し時間があったので、向かう途中でショッピングモールに立ち寄った。午前中にも関わらずたくさんの人で賑わっていた。
友人同士で楽しそうに歩いている子供たちも多い。

子供の頃は、夏休みがひどく長く感じられた。
毎日遊んで、宿題して、昼寝して。
当時は何気ない日常の繰り返しだったが、今思い返せばキラキラ輝いていた。一見同じことの繰り返しに見ても、幼き自分には目に映るもののほとんどが新鮮で、好奇心を掻き立てられたのだ。
何かに没頭するという経験も時間があるからこそ出来る。年を重ねると、つい時間を言い訳にしてしまう。凝り固まってる感じがしてイヤだな〜〜。

母親不在の父は、自発的に家事をするようになった。
一回やり方を理解すると翌日から案外楽しそうに洗濯機を回して洗濯物を干し、食器洗いをしていた。

人はきっかけさえあれば、何歳でも学び、成長できるのかもしれない。そう考えれば、こちらの心持次第では、昔のようなキラキラした夏休みの日々を取り戻せるかもしれないのかな。そんな取り留めのないことを考えながら、今日も母親が入院する病室へ向かう。

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