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救急医をしている理由
救急医といえば、「コードブルー」「TOKYO MER」などカッコいい世界が想像するだろうが、実際はあんな華やかでなく、地味な仕事な仕事が大半だ。そのことに関しては後日書かせて頂くとして、今回はそんな救急医になった理由について
救急科は救急車で運ばれた患者のファーストタッチで、その患者のトリアージや初期治療を行う。外科のできる救急医もいるが、最近は手術ができる状態まで、救急科で対応し、手術が必要ならば外科に渡したり、内科の専門的な治療が必要であれば、各内科に患者を送る。他の科にふることが出来ないくらい状態の悪い患者はそのまま救急科が診ることになる。
あまり知られていないが、コロナの重症患者を診ることが多いのも救急科だ
日本の場合何科にするか自由に自分で決めることができ私は 精神科→内科→在宅→救急科という流れで考えが変わっていった
入学当初は絶対に救急医はならないと思ってた。注射とか処置が好きじゃなく、話すのが好きだったたし人生結局はメンタルだろと思っているので、精神科になろうと思っていた
大学高学年では、内科疾患が原因で精神疾患のような症状がでることを知り、まずは内科を見れないと、精神科にはなる資格がないなと考えたのと、鑑別診断(何の病気かあてること)の楽しさを知り、ひとまず内科になろうと考えた。また、医者だった祖母の死もあり、そこで最期の過ごし方について考えさせれた。医者だった祖母は最期病院で過ごしたが、「死んでもいいから家にかえりたい」と言っていたが、家に帰れず。自宅がクリニックで、本人が医者でも最期の家に帰りたいという、小さな希望も叶えられず、人は死ぬんだと思い、自分が医者になったらそこは絶対変えたいし、自分も病院で死にたくないとと思った。その時は在宅医の存在も知らなかったが、在宅医をやりたいと思う1番のきっかけだったと思う。
研修医になると、最初は病気と治療の勉強、目に見えて症状が改善して、それなりに感謝されるのが楽しかった。だが、その反面、病気治しても幸せにならない人、そもそも体に病気がないけど病院に来る人、看病疲れしてる家族と関わる度に、このままじゃ「人を癒す中医」(cf前記時参照)にはなれないと感じた。
施設で寝たきりの高齢者が病院に運ばれてきて、たくさん検査して、抗生剤いれて、施設に戻す繰り返し。
「この行為で患者さんは幸せになってなくないか?」「むしろ苦痛を延長してるのではないか?」「そもそも、この医療費を海外の貧しい子に使えばもっと皆んなが幸せにならないか?」
医者は2年の初期研修を終える前に何科に進むか決める。上記の葛藤を抱え、同期・上司に話しても納得いく答えが貰えず、共感さえされない。院長レベルの先生に話すとそれに関する勉強になる話を聞かせてもらえたが、自分の中では到底納得できる医療制度・現状ではなかった。結局進路を決められず、世界旅行、ボランティアでもして、直接途上国の人から話を聞こうと思い、世界一周(半周)の旅行にでた。
医者3年目、旅行費を稼ぐために数ヶ月 在宅診療・福祉施設の医者バイトを行った。そこで再度、看取りをやりたいと思うようになった。ただ、看取りをするにも、集中治療の限界を知らないと自信をもって看取りができないと感じた。
そんなわけで、ひとまず、目の前の人の最低限の対応ができるようになること、集中治療の限界を知るために救急科にした。
救急科になってみて思ったことはまた別の機会に。