ごあいさつ
はじめまして。
兵庫県加古川市の諸井接骨院・整体院です。
幸いにも1990年9月の開院以来地域の多くの方々からご支援いただき、おかげさまで2021年で開院31年目を迎えることができました。
一昨年から始めたニュースレターの発行、そして今年の年明けからYoutubeやTwitterに挑戦してみたりと、みなさまに当院のことを知っていただこうという思いから様々な発信を試みてきましたが、もっと深い内容をみなさまと共有できたらと思い、この度noteを開設させていただきました。ちなみに筆者は副院長です。
今回はごあいさつとともに諸井接骨院開業当時のエピソードをいくつか紹介したいと思います。当時のエピソードは院長(父)からの聞き書きです。
写真1:開院初日の写真
繰り返しになりますが、当院は1990年(平成2年)に開院しました。1990年といえば、気がつかないうちにバブル経済が崩壊しかけていた頃で、開院時に借りた開業資金の金利(現在は1〜2%程度)が8%近くあり、今では考えられないほどの金額でした。
写真2:院長(父)と母、開院初日の記念写真
開院当初は月曜〜土曜の9時から12時、昼休憩をして16時から20時まで診療していましたが、昼休憩の間には独立開業前から務めていた須磨の須磨浦病院へ行き、リハビリ室にも週3回勤務していました。その当時は神戸の玉津に住んでいたため、1日のうちに①玉津〜加古川②加古川〜須磨③須磨〜加古川④加古川〜玉津というように神戸〜加古川間を2度も往復するような大変な移動生活でした。しかし月7万円のアルバイト代が出たため開院当初の苦しい時期には非常に助けられたのでした。
1992年に須磨であった脱線事故*の時には、白衣に車で須磨に向かっていたところ、脱線車両によって通行止めされており、通れなかったのですが、たまたま白衣を着ていたため、警備員に須磨浦病院へ行くと伝えると救護の人と間違えられ、通してくれたということもありました。現在と比べると何にしてもゆるい雰囲気の時代でした。
*1992年4月8日に須磨〜塩屋間で発生した鉄道事故。JR山陽本線と並走して走る国道2号線で起きた接触事故により転落してきたトレーラーと寝台特急さくらが衝突し、脱線した。
90年初頭頃の話では当院のすぐ前にあったニチイショッピングセンター(現イオン加古川店)が最盛期で連日ニチイ渋滞が起きるほどの盛況でした。当時はピープルというスポーツクラブ(現コナミスポーツ、スイミングや体操教室があった)に、建物の中にはアイススケート場も併設されていたりと、現在では考えられないような規模感の施設でした。
という感じで今回は思い出話をつらつらと書きましたが、あまり当院とは関係あるようなないようなお話になってしまったので(笑)、次回以降また当院のヒストリーが聞けたら更新したいと思います。
他にも身体に関することや、役に立つお話、その他関係のない話も含めて色々書けたらと思っています。お楽しみにしていてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?