西川火尖さんの第一句集『サーチライト』感想
2022年1月16日ツイート分の転記です。
西川火尖さんは1984年生まれということで、就職氷河期世代の終わりくらいでしょうか。
私とほぼ同世代(と言わせてください)ですね。なので、同世代として共感できるテーマが多くありました。
なので、素敵な俳句が多くある中でもそういった俳句に焦点を絞ってご紹介していきたいと思います。
まずご紹介したいのは、理想通りの働き方を手に入れた訳ではないけれど日々実を削って働き、そんな生活に誇りもある、そんな雰囲気を感じた俳句です。
もちろん、俳句=火尖さんの実生活ではないと思いますし、私も全く同じ経験をしている訳ではありませんが、その閉塞感や希望に共感を覚えました。
冬帽子金を払つて生きてゆく
何をするにもお金がいります。「払う」という行為に焦点を当てて、消耗して生きていく姿が詠まれています。
「冬帽子」という季語から表情の少し隠れた、また寒さで顔の強張った労働者が惜しみつつ街角で何かを購入している姿が思い浮かびました。
PayPayやクレジット払いではなく、裸の折曲がったお札や、ジャラジャラと重みのある小銭が似合います。
身を削って稼いだ金を惜しみつつ払う、そんなイメージです。
花を買ふ我が賞与でも買へる花を
そんなに多くないであろう賞与の中で、それでも花を買う。その心自体が美しく、花の存在を際立てます。
夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと
「冬の虹」に「引継ぐ」という大仰なビジネスの言葉を使っているところに、おかしみがあります。
夜勤者は見ることができない冬の虹。それを伝えることで、寒い冬の夜を働きながら越す夜勤者の心の中にも虹がかかるような、虹の美しさが際立つ句です。
非正規は非正規父となる冬も
「非正規は非正規」噛みしめるような現実です。こどもが産まれるからといって会社や社会が優遇してくれる訳ではない。
「冬」という季語がその厳しい現実のようにも、それでも寒さに身を引き締めて生きていく覚悟のようにも感じます。
何もいらないのに雪が降りにけり
もうたくさん、何も受け入れる余裕はない。でもそんなのお構いなしに雪は降る。
「何もいらない」と言いつつ、人間の心と関係なく空からひらひらと舞い落ちてくる雪の自由さ、美しさ、冷たさは作品の主人公の癒しとなっている様な気もします。
新年がくる嫌な顔ひとつせず
大人になると新しい年が来ることへの特別感が薄れて来ている気がします。昨日と同じ毎日が続いていくだけだ。
いや、それでも新年になるとやっぱり自動的にお目出度い気分になる。そんな新年の目出度さの押し売り感がおもしろいです。
有無を言わさず新年は新年なのだと思わせる句です。
桃食ふや何に背きしかは知らず
桃は丸かじりな感じがします。一心に食べる桃の甘さは自分への慰めやご褒美の様な気がします。
ご紹介した句は冬の句が多いですね。厳しい現実の中できらめく季語の美しさを感じました。
火尖さんは私が参加させていただいている「子連れ句会」の主宰でもあります。
お子さんとのやり取りが伺える以下の俳句も好きです。
はらぺこあおむしは覚くんだと読み聞かす
子の問に何度も虹と答へけり
丁寧に言葉を伝えていく姿に温かさや必死にこどもを育てている様子が感じられます。
句会での火尖さんはどんな方かというと、自分の言葉にとても誠実な方だと思います。
子育て句会ではいつも司会をしてくださるのですが、自分の発言に反省を入れながら進めていくスタイルです(笑)。
その真面目さは何だかおもしろくもあるのですが、きっとキチンと自分の発言や他の人の俳句の良さを参加者に伝えてくださろうと必死なのだと思います。
句会の中でも、いつも新しい提案をしてくださいます。
俳句の中でも物事に向き合うときも、もがいて何かと得ようと常に探しているような印象があります。
その姿勢は今回の『サーチライト』というタイトルにも繋がるなぁ、と思います。
最後、映画のエンドロールの様な黒のページのSpecial Thanksに「子連れ句会」を見つけて嬉しくなりました。
この素晴らしい句集に参加したかの様に感じられて。