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シンガポール物語 Vol.1

みなさん だいぶ ご無沙汰です
お元気でしたでしょうか?
私ごとではありますが シンガポールへ出張に行ってまいりました
そのことについて 少しずつ まとめたいと思います
ぜひ ご覧ください

1本の電話

年内最後の出荷分 納期カツカツの仕事に着手した10月中旬のとある午後。同業者でもある 従兄弟の兄から 1本の電話がかかってきたのであった。

「お疲れ様。大変な事が起きてしまった!」

いつも以上に 声のトーン高めで 言ってきた。
私は 何事だ? コロナか?

「どうした? 」

と模索しながら聞くと

「シンガポールに 行かんなすまん!」

想像を遥かに超えた回答が返ってきたのであった。
冷静に冷静にと 自心を落ち着かせながら どんな内容なのか? いつからなのか? いくつか質問をしたのを覚えている。

「来年の4月くらいで 仏像の修復みたい」

そう聞き 半年後か まだ時間はある とりあえず 年内納めの仕事に集中しようと さらっと流したのであった。
この後 とんでもない事が起こることは 知るよしもない。

段取りの調整

年内納めの仕事を順調に進めていた 11月初旬。
また 電話がかかってきた。

「年内 カツカツ? 空きはない?」

少し 焦った感じのトーンで 語ってきたのであった。

「シンガポールの件 1月末 納期だって。逆算して 年内 12月20日前後の出発なりそう」

「出発になりそう⁉︎ 」

行くか 行かないかの 50%くらいの考えでいたのに いきなり80%の確率で行くことに。
さらに 旧正月に間に合うようにと 日程が急に 来春から 年明けすぐにと 近々になっているではないか。
行くべきか 断るべきか ものすごく迷い考えた結果...
これは 今後の自分への 大きな分岐点になるのではないか? チャンスと捉えるべきなのでは?と言う結論にいたり 気づいたら 二つ返事でOKしていたのだった。

そして この日から シンガポールのために 段取りの再調整と残業の日々になるのであった。

準備

出発日まで すでに2ヶ月を切っており 準備にも追われる日々。人生初の海外という事もあり どこで どのようにして パスポートを手にするのか? そこから始まった準備。そして コロナ禍のこのご時世 出国の際には 3回目のワクチン接種が必要らしく 従兄弟の兄は 猛ダッシュで接種の予約。私は運よく 仕事の間が空いた時期があり すでに接種済みだったのは助かった。

道具は 何がいるか? シンガポールに持ち込めるもの 持ち込めないものは何か? 変圧器 変換器は? 時差は? 海外保険は? 気づけば スマホの検索履歴には シンガポールに関するものばかりで 埋め尽くされていた。

そんなこんなで 月日はあっという間に過ぎ 12月初旬 なんとかギリギリ パスポートが手元にやってきた。
はじめまして パスポート。一気に現実味が湧いてきたのであった。

サンタさんからのプレゼント

出発予定日の 12月20日を目指していたが やはり
工場内の仕事のめどが立たず 25日に。頑張って 頑張って ギリギリで 終わらせる事ができたが ここで大きなトラブルが発生した。

25日出発予定で進めてきたはずなのに 先方さんが
飛行機の国内線を25日で予約し 国際線を26日で予約してるではないか。関空で1泊しろと?
国際線は 変更が効かなかったため急いで 国内線をキャンセル。

慌ただしい 2ヶ月を過ごしてきた我々に 1日くらい休ませてやるよと 神様が?サンタさんが? 言っているかのようだった。

まだまだ くだらない 小さなトラブルも多々あったが とりあえず このくらいで...

要するに 海外出張の準備は 2ヶ月前では 遅すぎて ろくな事がなく 厳しすぎる と言うことを学んだ。

本当の出発日

サンタさんから 1日の休みをもらった 翌日。本当の出発日がやってきた。

タイムスケジュール的には 13時頃 鹿児島空港を出発し 関西空港を18時半頃の飛行機で シンガポールへ旅立つ予定であった。
結構時間的にはゆとりがあるかと思っていたが 実際はそうでもなかった。

クリスマスか年末年始の影響か 関西空港は 平日にも関わらず 大勢の人。
シャトルバスに乗るのも行列。手続きするのも行列。聞こえてくるのは 英語や中国語。
特に何をするでもなく ひたすら行列に並ぶのみで 時間だけが過ぎていった。

機内食は出ないと聞いていたので

「昼 夜 1食でまとめようか 」

急いで飲食店を探し 緊張で朝から何も口にする事ができなかった私の胃袋へ 優しいうどんを流し込んだのであった。

テイクオフ

短かったような 長かったような 1本の電話から 2ヶ月あまり。色々あったが 無事 手続きも終え お腹も満たされて いよいよテイクオフ。

約7時間のフライトという事で 現地に着くのは 深夜2時頃。到着日の朝から出勤するので しっかりと寝るつもりでいた。
しかし 運悪く 私の座席は 3列シートのど真ん中。
しかも 左隣は 全くの赤の他人で なかなかリラックスする事ができていなかった。

海外の洗礼を浴びる

いい感じで睡眠に入りかけていた 2時間あまり。CAさんに 声をかけられ 完全に目が覚めてしまった。ここで海外の壁が立ちはだかる。本物の英語が寝ぼけた頭を襲ってきたのであった。気合いで聞き取ると どうやら 機内食の事で ご飯を済ませた私たちは

「No, thank you」

と人生初に近い英会話をした。
しかし 海外の洗礼を浴び 何を言ってるかわからない答えと同時に 機内食が 目の前にやってきたのだった。
後でわかったことだが どうやら 機内食がついてくるプランだったらしく そもそも 断った 私たちが 間違っていたのであった。

手元にやってきた 機内食は 「ヤムライス」と言うシンガポール料理。お腹は膨れていたが せっかくなので食べることにした。

見た感じは 炊き込みご飯。しかし ここでも海外の洗礼を浴びることに。
炊き込みご飯のイメージで食べたら お米はビチャビチャ。味は薄味で ものすごく独特な香りと風味。薬膳まではいかないが それに近い感じ。

こんな食が1ヶ月 続くのか...
私は生きていけるのだろうか?

そんな不安が頭をよぎった 初海外1食目であった。

頑張って食べ終わり トイレと軽く口ゆすぎをしに 行こうと 寝ている 左隣の女性を起こす。

「I'm sorry」

トイレを済ませて 座席に戻ってきて

「I'm sorry」

シートの真ん中は 気を使うな... 海外の洗礼を浴びて だんだんネガティブ思考になりながら 眠りについたのであった。

朝から緊張しっぱなしで 疲れていたのか 次に目が覚めると 窓の外に 街明かりが見えるようになっていた。

いよいよシンガポール生活が 始まるなと 気を引き締めると同時に 着陸体制へ整える機体。
そして その数分後 無事着陸したのであった。

すると 左隣の女性が

「シンガポール滞在ですか?」

と流暢な日本語で 質問してきた。

「はい!」
「日本語上手ですね!」

と返すと 衝撃の事実が...

「私 日本人です 笑」

周りからは 全く日本語は聞こえてこないし 少しハーフっぽい顔だったため 海外の方だと勝手に認識してしまい とんでもなく失礼なことを言ってしまったのだ。

それと同時に 7時間ものフライト CAさんとの会話 座席を立つ際の「I'm sorry」バカ丸出しの なんちゃって英会話を丸々聞かれていたと思うと 恥ずかしくて 恥ずかしくて 穴があったら入りたいくらいだった。

どうやら 彼女は シンガポール経由 インドネシア行きという事で ここでお別れ。そして 日本語ともお別れとなった。

幸先の悪いスタートを切ってしまった私だが これから 1ヶ月あまり どのように過ごし 生き延びれたのか また次回 お楽しみに。

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