モロ先生の授業「教育の限界」
最近ジョイのオーナーるーさんから「モロさあ、株やりなよ」と唐突に言われたので、今その準備を始めています。
僕が昔から決めているのは「自分の尊敬している人が『やりなよ』と言ったことは、すぐやる」です。
だから自分が興味あるなしに関係なく、取り敢えず手を出してみます。
そして、それでも楽しくなかったら辞めます。
やる前から判断することだけは、したくないんですね。
そんなこんなで早速、知り合いの「お金のプロフェッショナル」の方に連絡をして、近々授業をしてもらう予定なんですけども、まあ皆様お察しの通り、僕は株なんて全くの未経験なんですね。
だから興味ある無しも不明なので、取り敢えず勉強から開始してみます。
ところで皆さん、人って「教育」で、どれくらい変わると思いますか?
僕は教育者なので「100%変わる!」と言いたいところなのですが、ぶっちゃけそうでもないと思ってます。
これはとある大手企業の代表の方がお話していたことなんですけども、その方は企業において「採用」と「教育」はどっちを重要視しているか?という話です。
「良い人材をとるか?」それとも「育てあげるか?」という。
すると、なんとその方は「100%、採用」とお話されていました。
これというのは「教育で全ての人が変えられる…というのは幻想である」という結論ですね。
これに共感している僕も実はいまして、「教育では変わらない」というよりも「向き不向き(適材適所)は確実にある」という認識の方が近いかもしれません。
「優秀だけど、この仕事には全然向いてない」が存在する世界で、時に僕らは「教育」で、そこの帳尻を合わせようとするけれど、それはやめた方がいいよね…という。
時に音楽も「楽しむ」を目的にしている場合は100%の人が楽しむ権利があると思います。
ですが「極める」となると、話は変わってくると思います。
いかに音楽に没頭できるか、起きている時間の全てを音楽に捧げる覚悟と、血の滲む努力と、人前に立つ喜びまたは自分の作品で感動させる喜びを実感できるか・・・などなど、適材適所は必ず存在するんですね。
だから「覚悟はありません。でもプロの音楽家になりたいんです」という人を「教育」で変えてあげようとするのはナンセンスで「生きる道を一緒に探してあげる」くらいの寄り添い方が、最も適していると思います。
勘違いされたくないので重ねてお話しますが、目的が「楽しむ」なのであれば、100%の人が可能なので、そこはジョイにお任せください。
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