ナルシストの正体~心の現代病~
個人主義の浸透により、心の現代病ともいえる新型うつ病が注目されるようになった昨今、不健全な自己愛の肥大により、大人の世界にも子どものいじめのような現象が多くみられるようになりました。
私が在籍している大学の公認心理師課程でも、近年問題視されている心理臨床家の質の低下についての講義(下記)があり、知識では測れないセラピストの資質について考察するレポート課題が出されました。私自身も臨床心理学科に編入する前、言語聴覚士の専門学校に在籍しており、そこで教員の陰湿なパワハラを経験したことで、セラピストの資質について深く考えさせられました。
このようなナルシストタイプがセラピストの職業を好むのは、他者に対して対等な立場で接するための常識に欠けるせいで、同僚が多くいるような環境を選べず、1:1の上下関係をつくって、先生と呼ばれながら一方的に教える立場になることが、最も自己実現しやすいからだと考えられます。まして相手が高次脳機能障害や重度の精神障害をもつ患者であれば、なおさら違和感を持たれにくく、何かトラブルがあってもうやむやにしやすいわけです。公認心理師も国家資格化されましたが、マークシートの試験だけで適性が判断できるわけがなく、既に多くの専門家から資格の妥当性が疑問視されています。
ナルシストタイプの内面は、レストランやお店に入って、客の立場として振舞っているときの自分を想像すればわかりやすいと思います。以前フランスを旅行したとき、タクシーの運転手さんから『フランスでは店員と客が対等な関係であることが多いから、店に入るときは客の方から挨拶をするのがマナーなんだ。そういうのを知らない観光客がマナー違反だと思われて、店員から横柄な態度をされて差別されたと感じるみたいだけど、それは誤解なんだよ。』と言われたことがあります。ナルシストタイプは対人関係全般にこのような不適応行動がみられるのだと思います。
私がこれまで知り合ったパワハラ、モラハラ加害者も、『兄弟が近所に迷惑をかけたとき、迷惑をかけられた方がうちの家まで謝りに来た』といったエピソードを話していたことがあり、成育環境の中で自分や家族が他人と接するとき、客と店員のような会話をしていた印象を受けました。中には、代々事業を継承する地元の名士といわれるような家柄の人も含まれています。
言語学者エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフは、言語がその話者の世界観の形成に関与するという仮説(言語相対論)を提唱し、個人の思考はその個人が使用する言語に影響を受けると考えました。また、ハーバード大学医学大学院のクレイグ・マーティン博士は著書『Rethinking Narcissism』で、集団を意識するような言葉(私たち、私たちの会社、私たちの学校etc)を会話の中に多用することで、ナルシストタイプの問題行動を改善できる可能性があると書いています。
全体主義が崩壊した現代社会においては、自分1人で全てを成し遂げることが理想の人生とされるため、必然的に自己愛との闘いを強いられ、自分の無力さや平凡さを受け入れることによって、自己肯定感が育まれていきます。日本でも、学校教育に演劇の授業を取り入れて会話のトレーニングをしたり、男女ともに兵役を課して集団生活のトレーニングを実施すれば、効果的な人格矯正を行うことができるかもしれません。
映画『千年女優』*では、戦前に生まれ、菓子屋の1人娘として育った主人公が、警察に追われる思想犯(鍵の君)を偶然助けたことから、その思想犯が落としていった鍵を返す旅に出るため、女優になる決心をします。鍵の君の生存を信じる主人公は、幾多の困難に遭遇しながらも再会を夢見て突き進みますが、やがて鍵の君を追うことそのものにアイデンティティを見出すようになります。主人公に託された『一番大切なものを開ける鍵』とは、何を開ける鍵だったのでしょうか。
*この映画は海外でも評価が高く、様々な解釈をされていますが、私個人は主人公の『父がこの地震で亡くなってしまって、まるで代わりに私が生まれたみたい』という言葉から連想して、父親を創造主、鍵の君を犠牲の象徴に置き換え、人類史を描いた作品として観ました。というわけで『一番大切なもの』は他者を生かしたいと願う気持ちやそれに類するものと捉えています。