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マタギって何と伝えたら良いか
「あなたは“マタギ”と聞いて、どんな姿を思い浮かべますか?」
秋田県北秋田市でマタギ文化を伝える宿を営んでいる織山英行と申します。
実はずっと考えてきたんです(突然)
マタギっていったい何者なのか、と。
猟をするのは冬の短い期間だけ。それ以外の季節には山菜を採ったり、川魚を求めて渓流を歩いたり、キノコを採ったり。生活全体が山と密接に結びついている存在なのに「マタギ=ハンター」という印象が強くて、なかなかその本質が伝わりづらい。
テレビや雑誌で取材をしていただいたときにも必ず「マタギとはどのような存在なのでしょうか?」と聞かれます。ディレクターは一言でズバンと答えてくれることを期待しています。それが痛いほど伝わってくるのですが……。私自身も一言で言えるものなら言ってみたいです。しかしながら、マタギのことを知れば知るほど一言では言えなくなり、結局くどくどと回り道の説明をするはめになります。
マタギって何と伝えたら分かりやすいのだろうか……。
近隣の宿では「Mountain侍」という説明がホームページにどどんと載っていますが、それもしっくりこない。
そこで私は最近、“防災”という視点からマタギを語ってみるのもいいのではないか、と考えるようになりました。
彼らは自然の変化を敏感に察知し、危険を回避する能力に長けています。
それはまさに“山を読む力”であり、現代社会においても大いに活かせる知恵だと思うのです。
私がその知恵の重要性を思い知らされたのは、ある冬山での単独行のときでした。もともとは翌シーズンのガイドルートの下見を兼ねて、天気の良さそうな日にふらりと出かけた、気軽なハイキングの範疇でした。
雪深い地域とはいえ、標高はそれほど高くないし、日帰りのつもりなら大丈夫だろう……そう安易に考えていました。
ところが、いざ山に入ってみると、天気予報では晴れマークだったはずが、雲行きが怪しくなってあっという間に雪が舞い始めました。風が強まり、顔を刺す雪粒に一瞬で視界が奪われる。急いで来た道を戻ろうとしても、吹き溜まりができて足元の感覚がまるで頼りにならない。積雪の下に隠れた沢へ踏み抜きそうになり、ヒヤリとする場面が何度もありました。
装備は一通り整えてきたつもりでも、こんなに早く天候が崩れるとは想定外。帰り道を確認するため、現在位置をGPSで確認しようとスマホを取り出しても、濡れた手のせいでうまく操作できず、予備の地図を取り出すにも風雪で紙がぐしゃぐしゃになる。体温はどんどん奪われていく。
自然の前で、自分の備えがいかに心許ないかを痛感した瞬間でした。
結局、なんとか風の影響を受けにくい場所を見つけ、小一時間耐え忍ぶことに……。運よく天候が持ち直して下山できたので大事には至りませんでしたが「山は甘く見ると恐ろしい」という当たり前の事実を身をもって実感しました。
あとから地元の先輩マタギに話したところ「雲の流れや風の冷たさ、湿り気の感じ方で、早めに“ヤバそうだ”って察知するんだよ」と諭され、あのときの自分の油断が何とも情けなくなったのを覚えています。
マタギと歩く山は、五感がフルに動員されます。
冬山の凜とした空気を吸うと、肺がピリッと刺激され、呼吸するたびに“生きている”ことを強く意識させられます。足元の深雪が踏みしめるたびに「ギュッ、ギュッ」と独特の音を立て、その音の大きさや響き具合で雪質を推測できるというのだから驚きです。
吹きつける風の温度や湿度は、天候の急変を知らせてくれるサインでもあります。風向きが変わると、木々のざわめきが微妙にトーンを変えたり、遠くの沢の水音が不意にクリアに聞こえたり。
マタギの先輩が言うには「山はすべての変化を教えてくれるけど、こちらが気づくかどうかだけだ」とのこと。
実際に耳をすませば、雪に閉ざされた静寂の中でも、聴き取れる情報は意外なほど多いのです。
では、なぜマタギの生き方が「防災」とつながるのか。
山の変化をいち早く察知する勘の鋭さはもちろん、もう一つ大切なのは“備え”の概念です。マタギは昔から、冬に狩りを行うときでも「予想外の事態は起こり得るもの」として行動します。
周到な準備とリスク回避の意識こそ、防災の根幹に他なりません。
さらに、環境との共生や地域の経済振興も視野に入れるなら、マタギの知恵は宝の山とも言えます。山菜やキノコ、川魚などの豊かな資源を適切に採取しながら自然を守るやり方は、森を適切に育み、緑のダムを育てる、まさに災いを防ぐ「防災」ではないでしょうか。
マタギの伝統は“今”を生き抜くための知恵
ひとりで冬山に入って痛い目を見た私は、あらためて自然の恐ろしさとマタギの偉大さを思い知りました。
何世代にもわたって培われてきた知恵は、決して時代遅れのものではありません。むしろ災害リスクの増える現代社会だからこそ、山と共に暮らす彼らの知見が必要とされるのではないでしょうか。
あなたなら、“マタギ”の生き方を何と伝えるでしょうか?
自然の恩恵を持続的に享受するため生きる知恵、それを体現している存在。改めて考えてみると非常に難しいことです。答えは一つではないですよね。
マタギの伝統は古い形式ではなく、今この時代を生き抜くための知恵の宝庫。
もし秋田方面へ出かける機会があれば、ぜひ阿仁のマタギ文化にも触れてみてください。打当温泉マタギの湯には「マタギ資料館」があり、マタギのことを少し学ぶことができます。それからマタギに関する書籍も色々発行されています。
でも、本当は実際にマタギの人たちと山や森の中を一緒に歩いてもらいたい。それが一番良いのは分かり切っていること。新たな発見とともに“自然と生きる”という本質に近づけるはずです。
私はもっともっと、マタギのことを伝える言葉を探して、それを多くの人に届けられるよう、マタギと一緒に山歩きできる体験を拡充していきたいと思います。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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