ただただ、つながっていたい
はじめに
寺山修司と谷川俊太郎が映像で往復書簡をしていた作品が好きだ。
なにが好きかといえば、その「距離感」である。お互いが近すぎず、遠すぎず、それでいてしっかりと思想の根っこは共有していて、アンビエント・ミュージックのような不思議な心地よさが感じられる。
今から40年前に送られた寺山から谷川へのメッセージが、全く縁もゆかりもない僕のこころに、天井のシミのごとく広がり、じっとりと染み込み、上から見下ろしている。
織山から山田へ(アンサー記事)
そんな往復書簡ではないが、自分のことについて書かれた記事にアンサーを返していきたい。今回で終わりではなく、別の人が書いてくれた記事もあるので、今のところあと2回はある予定。
今回紹介するのは、昨年度まで我が家がある北秋田市の地域おこし協力隊として活動されていて、今年度からは山菜やキノコ、川魚の販売等を行う会社を起業したHUNTの山田健太郎さんである。
下記の記事は、毎日更新中の20日目の記事で、マタギの猟について山田さんの感じたことが端的に書かれている。
私が登場する箇所を引用する。
まず「師匠のようでもある」と書かれていて、とても恥ずかしい。
本題に入る。
「いつか自分も熊に食べられたい」という話は、秋田県仙北市の大白森山まで一緒に登ったときの会話である。
このときの自分の文脈としては、人間は必ず死ぬのだから、理想の死に方のひとつとして「熊に食べられる」ということを挙げさせていただいた。
山田さんが書いているように、食う食われるの世界に「食われる側」としても参加しておきたい、ということも大いにある。
つまりは、動植物と【対等な立場でいたい】という気持ちがあるのではないか。少なくとも私にはある。対等な立場というと上から目線の、銃を片手にもったままの乱暴な考え方かもしれないが、単純によりよくつながっていたいということなのだと思う。自分は命を奪うばかりで、自分の命だけは絶対に奪われたくないというのは、自然の摂理に反したエゴ丸出しマンになってしまうのだ。
でも、山田さんと私の考えで、違う部分もある。
山田さんの場合は、生肉のままの消費を連想している。熊に美味しい太ももを食べてもらって、残りの死体は川に流れて魚についばまれて消費されていくような未来。自分もたくさん食べてきたから、自分の身体を差し出したいという願望。
これは、手塚治虫の漫画「ブッダ」に出てきたウサギの話とつながる。
熊やキツネは瀕死の旅人に対して木の実や果物などを持ってくることができたが、何も与えるものがなかったウサギは、自分自身が火に飛び込み旅人に身を捧げる話が語られている。手塚治虫の描くシッダルタの悟り、ブッダの教えは”自己犠牲”と”宇宙はひとつの生命ですべてのものがつながっている”に集約されていると思われるが、この精神性と山田さんが考える「対等な世界」は同じラインにあるのではないか。
私も同じような考え方を持っている。違う部分があるとすれば以下の部分であろうか。
「いつか熊に食べられたい」という気持ちは理想の死に方のひとつであり、その先には「山の一部になれるのではないか」という仄明るい希望があるからだ。
私は山になりたい、のかもしれない。熊に全身を食べられることで、胃の中でドロドロに溶かされ、一部分は腸から吸収され、残りの大部分はウンコとして山の中に落とされる。そして、分解され最終的には土となる。
そうなることで、私は山の一部になって、本当の意味で自然とつながることができるのだと思っているのかもしれない。冷たい墓石の下ではなく、鳥がさえずり、虫の羽ばたきがこそばゆく感じる山に染み込んでいきたい。
似てるようで微妙に違うニュアンス。同じ部分と違うところ。
もっと山田さんと話をしてみたいし、もっと一緒に山を歩いてみたい。
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