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ロングトレイル「富士山大回転斬り」振り返り

8月24日から9月10日、17泊18日の計画(実際に行動したのは14日間)で、富士山を左手に見ながら周りの山をぐるりと縦走して最後に富士山に登るオリジナルロングトレイル「富士山大回転斬り」をやってきました。



寸感と集計

ロングトレイルの歴史にまた1ページ

タテ方向の「縦走」では、歩いてきた道や山を振り返って見られるのはせいぜい3日前ぐらいまででした。それに対して今回は円運動なので、富士山を中心に「ここまで来た」と、進展を明快に感じられたのが良かったです。

総距離は277.9km、累計獲得標高は15722mでした。行動14日間での1日平均は、距離19.85km、獲得標高1123m。入山した9日間での平均獲得標高は1528mでした。

総支出はまだ集計中です。12日目時点での累計は12万を超えてました。

同じ野宿禁止ルールでも、山中のテン場を頻繁に使えたことで1日平均9000円程度に抑えられた日本縦走に対し、今回はホテル・キャンプ場を使わざるを得なかったため、どうしても割高になりました。もちろんホテルの回復効果は偉大です。


成果

①台風10号への対応

稀に見る長い足踏みで大打撃を与えてきた台風10号。6日目に一時中断を決断し、駿河湾フェリーと伊豆山稜線歩道・沼津アルプスを諦め、7〜9日目は自宅で待機しました。

赤が諦めたところ

我ながら良くやったと思うのは、実は「中断したこと」ではなく、「ギリギリのところまで中断しなかったこと」のほうです。一番早ければスタートの時点で「台風が近づいてきているから延期しよう」とか、4〜5日目を連泊待機にせず帰ってきまうという判断もあり得ました。サイズダウンしながらも「一周」の軌跡を切れ目なしに描けたのは、ギリギリまで攻めたからです。地形と天気図、予想降水量や風速などから、どの程度の脅威なら自分にとって「無理」なのか判断する材料を持っていました。


②米食の実践

テント泊の日の夕食はすべて「炊飯した無洗米+インスタントの味噌汁+現地購入のα」という献立でした。

洪庵キャンプ場のαは売店の「ゆば丼」

総支出から見ると微々たるものとは言え、山での食事は米の持ち込みが最も安上がりです。何もかも現地で買うなら米と味噌以外にクッカーとコンロと燃料も持たずに済んだわけですが、「この程度の重量を嫌うようではロングトレイルなどできない」と考えました。


③事前の暑熱順化

基本的に毎週末、ロングトレイルの重量を背負ってどこかしらの山へ入っています。猛暑日でもあえて低山に行って、暑熱順化を進めてきました。この富士山大回転斬りはラストの富士山を除いて低山 or 下界しかなく、日本縦走以上に暑さ対策が重要でした。

しっかりと汗腺を開き、毛細血管を鍛えておいたおかげで、暑さにやられてしまうことは一度もありませんでした。毎年思うのですが、できることならこの順化を次の夏まで持ち越したいものです。


ピンチ

①不老山のヒル地獄

YAMAPで計画を組んだ時に警告が出てきたおかげで、14日目の不老山周辺でヒルが大量発生しているという情報は得ていました。しかし、同じくヒルが多いことで有名な東丹沢でも、じめじめした場所で立ち止まらないことでほとんどヒルの攻撃を受けずに済んでおり、正直甘く見ていました。

台風で一時帰宅した際、念のためヒルよけスプレーを噴いてありましたが、すでに3日が経過。駅前の交流センターでスプレーを貸し出しているとの情報でしたが、当日はまだオープン前でした。

登山道に入って数分後、写真を撮るためにほんの数秒立ち止まり、ふと足元を見ると、もう両方の靴に3~4匹ずつ乗っていました。絶望です。ストックの先端でどうにかこそげ落とし、前進しながら観察してみると、どうやら全地面にいるので踏まれたそばから登ってきており、ちょっとした土くれや枯れ葉の塊を蹴ればその中にいたやつが付いてくるようでした。

このあたりが巣窟

途中の分岐から日当たりの良い林道に逃げ出し、靴と靴下とザックを点検して、連れてきてしまったやつをポケットウイスキーで無力化。塩タブレットを袋のまま石で砕いて靴と靴下にまぶし、片手にライターを持って行動再開。

幸い、標高700mより上ではほとんど遭いませんでした。ともあれ、あれだけの数がいた状況で、2回しか噛まれなかった(それもチクリとした瞬間に速攻で剝がした)のは軽い奇跡だと思います。


②山中湖から杓子山

累積標高差は1500m弱ですが、コースタイムが10時間15分と全日程で2番目に長く(最長は2日目の御坂山地11時間)、肉体的に最も苦しかったのがこの15日目です。

景観は最高

石割神社の長い長い階段からスタート。アップダウンを繰り返して、杓子山の山頂の前後は幅の狭い急登の連続。下りの累積標高差が実は1825mもあり、下りるのがしんどいコースでもありました。

その前日の行動食と夕食が炭水化物に偏ってしまったのも、やたらキツかった一因と推測しています。筋肉の修復にはやはりタンパク質が必要です。


③富士山終バス危機

最終日、9月10日は夏山としての富士山も最終日でした。10日までは小屋が営業しており、通常と同じ条件で登れるものと思いきや、最終日は吉田口頂上近くのトイレが一足先に閉まっていました。たまたま近くにいた見回りの人に聞くと、「富士宮口頂上近くのトイレならまだ閉めていないかもしれない」とのこと。トイレは頂上で行けばいいやと思っていたため、この時点で尿意は80%近くに達していました。

そして、この最終日は「友達(非登山者)と7合目で待ち合わせてご来光を見て登る」という特殊な山行でした。本来なら吉田口頂上到達時点で、それまでにかかった時間と残り時間から、お鉢巡り(剣ヶ峰)をやるかやらないかを冷静に計算すべきでしたが、自分が相当トイレに行きたかったのと、まだコースタイム+1時間少々の余裕はあるから間に合うだろうと雑に見積もって、剣ヶ峰に向かってしまいました。

結局、終バスの1本前(16:45)にギリギリで乗れたものの、下りはかなり急かさざるを得ませんでした。終バスを狙わなかったのは、あとがないと焦ってしまうのと、その頃にはもう暗くなり始めて危ないからです。

大事な友達に久々に会えて楽しい一日ではありましたが、最後の最後で余裕のない山行になってしまったのは、見通しの甘さによるものです。

開いていたのは青い丸だけ

ちなみに、最終日の富士山のお鉢、富士宮口頂上近くのトイレだけが開いていて、他の小屋は売店も全部閉まっていました。


次の目標

2025年のロングトレイルは四国中央山地の横断を狙っています。四国は日本縦走の際、石鎚山と剣山にしか登っておらず、やり残した感がありました。

日本縦走でノータッチだった中国地方は、2026年のロングトレイルで通りたいと考えています。

今年の秋~冬は、今まで常に重装備で歩いていた自分が急に軽量化したらどれぐらいスピードが出るのか、少し実験をしてみようかと思っています。やりたいことの中心はすべてを背負うロングトレイルであり、本格的にトレラン方面に行くつもりはなく、興味本位です。

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