何かを始めるのに遅いは、ある
挑む者は20代で死ぬ。そういうイメージが、黄金時代に若き日々を過ごした先鋭的なクライマーの間では珍しくなかったらしい。先日参加した田中幹也さんのトークイベントで、そんな話を聴けた。
僕は、結論としては、30代後半になってから山を始めてよかったと思っている。学生時代は演劇部にいて、10代後半から30代前半は演劇人として過ごし、人間集団の負の側面をずいぶん見て、演劇に対して苦々しい思いを抱きながらの劇団解散となった。もし山岳部に入って集団の中で扱かれていたら、山を嫌いになっていた可能性が大いにあると思う。
40歳になった今、持久力の面では20代の頃より確実に強くなっている。
しかし。
だから、「何かを始めるのに遅いはない」と、言える? 本当にそうだろうか? 40歳の僕が20歳の頃より強いとしても、それは20歳の僕がクソザコだっただけではないだろうか?
生物学的には、子孫を残し幼少期を守るまでが最強であるはずだ。本来は45歳ぐらいが寿命と何かの本で読んだこともある。何歳になっても筋肉は強化し得ると言っても、生命体としてのピークは10代から20代で間違いない。
脳機能のピークも、少なくとも情報処理に関しては20代前後と言われている。他人の感情を予測する能力は40〜50代だそうだが、社会人としてはともかく、単騎でのサバイバルにおいてあまり役に立つとは言えない。
オリンピックで金メダルを目指すような選手は、たいてい幼い頃にスタートを切っている。
僕は『メダリスト』というフィギュアスケートの漫画が狂おしいほど好きだけれど、それはただただキャラクターと絵が好きなのだ。始めるのが遅かった者にも希望を与えてくれるからではない。早過ぎて視野が広がらなかったり気持ちや資金が切れたりすることはしばしばあるだろうけれど、それでもトップクラスを目指すなら、始めるのは早いほうがいい。
何かを始めるのに遅いはない、という言葉には、二つの意味があると思う。一つは「君はそのままでいいんだよ」みたいな、特に根拠のない励まし。もう一つは「(本当は遅いけど)明日よりは今日始めたほうがいい」という意味。先延ばしにすれば、次々と打ち寄せる明日の中で身体は着実に老化し、やがてもう思い立つこともなくなる。
件のトークイベントで、田中さんが中学・高校の頃にはもうかなりの山をやっていたことに関して「すご〜い」という雰囲気がそれなりの時間流れたのだけれど、田中さん自身は謙遜する風でなく別にすごくないとおっしゃっていたし、僕は「そんなことはどうでもよくないかしら……」と内心思っていた。推奨はされないにしても、他の競技で全国大会に行けるぐらいの選手なら、肉体的には日本アルプスの全山縦走ぐらいは可能だろう。だいいち、生まれながら強い奴は結局いるのだ。そいつが強いことに理由などなく、ショーケースの中の宝石を眺めるみたいにぼーっと羨んでいてもしょうがない。
僕は山を始めるのが確かに遅かった。そして、集団への忌避から、一般的な野外活動保険で補償され得るレベルにとどまっている。
かつて加藤文太郎がそうであった(らしい)ように、冬山に魅せられた者は夏山への興味が薄れていくらしい。悔しいが、僕は彼らが興味をなくしたステージにまだいるのだ。先日出会った19歳の若者は、(しかも"もう"19歳だと自覚した上で)夏は冬山の資金を稼ぐターンと言っていた。
そんなに羨ましいならさっさと重アイゼンを買ってしまえばいいのかもしれないが、今やっているロングトレイルと冬山をいっぺんにやるような資金力は僕にはなく、ロングトレイルはしっくり来ている。早くから始めたところで、結局先人の後追いしかできなさそうなことや、現在のトレンドであるUL・トレラン方面には肌が合わないことなどの壁に突き当たっていた事態も充分に想像できる。
それはそれとして、早くから山を始め、足早に岩や雪に向かっていく若者たちへの敗北感からは、今後も目を逸らさないようにしていこうと思うのだ。