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好きなことで生きなくてもいいよね

「好きなことで生きていく」というキャッチフレーズがキャッチーである背景には、「好きなことで生きていくのは難しい」という現実がある。プロのスポーツ選手になれるのはほんの一握りだし、漫画や音楽で生計を立てられる人はごく一部で、YouTuberは登録者1000人さえ難しい。僕は7年前、劇団を解散した。

いわゆる夢追い人を長い間やっていたせいか、こんな思い込みがあった。好きなことそのもので生きている人がピラミッドの頂点で、その「核」に近いほど上位にいる。たとえば小説なら、専業作家が頂点で、兼業が第二層、出版業界の何らかの社員が第三層、本屋のバイトが第四層、小説とまったく関係ない仕事では第五層といった具合だ。

この思い込みには、「人は全員、自分の好きな業界に就業したいはずだ」という思い込みが内臓されている。どうやら、そうでもない。

僕自身はとある業界の無記名ライターをずいぶん長いことやっている。その世界に対して、愛着はあるし、報酬をいただいている分+αぐらいの働きはしたいと思っているけれど、有名ライターになってのし上がりたいとか、業界の抱える問題を解決したいという熱い気持ちはない。ツテで仕事をいただいて、案件が続いているから続けている。

そもそも、仕事選びの指標が「夢への近さ」しかないというのがおかしい。報酬や条件、立地など、色々な要素がある。望む生活スタイルがあって、報酬に重きを置くなら、就活開始前はまったく興味がなかった業界に入ることも珍しくないだろう。

そう考えると、「なんでこの人はこの世界にいるんだ……?」という疑問が氷解していく。

少し話は違うけど、『動物のお医者さん』という漫画では「獣医さんならココロが優しい」という思い込みへの指摘があった

たとえば登山関係の会社なら、その関係者は登山好きの人しかいないだろうと思いがちではないだろうか。おそらく、そうでもない。

この手のWEB記事は定期的にXで「は?」って言われているのだけれど、こういうところに完全な山好きの集団ではない隙が現れている。これは山小屋のおやっさんのブログではなく、コンテンツなのだ。

まとめサイトがWELQ事件で一気に衰退し始める少し前、僕は「ライター」として、全然詳しくない分野の仕事を少しやっていたことがある。かなりの人が「名のある会社が出している記事は、その道の専門のライターが書いたものに違いない」と思い込んでいるのではないだろうか。別にそうでもない。末尾に署名がなかったり、「編集部」とかで濁されていたりしたら、その記事はその分野に全然詳しくない人間がテキトーにググって書いた可能性がある。

Yahoo!ニュースなどの記事に「何だこのライター、クビにしろ」と怒っている人がたまにいるが、そういう記事は十中八九、本人が書きたくて書いたものではない。指示もOKも会社が出したのだ。専門家に依頼しなかった会社が悪いと僕は思う。

テキトーにググって書くような仕事はそのうちAIに奪われるだろう

その世界に対して強い思いを持たない人が働いていることは、普通にある。客側からすると残念なことだけれど、当然のことと認識しておけば「ああ、情熱ないパターンね」と流せる。

それに、強い思い入れがない世界に就業することは、別に不幸でも何でもない。

物事には必ずウラオモテがある。オモテ側はどんなに素敵に見えても、仕事にしてウラ側を見てしまうと、がっかりすることがきっとある。

だから、僕は山が好きだけれど、山を仕事にしたいとはあまり思わないのだ。山小屋の仕事に憧れは感じるし、働いている人たちを尊敬するけれど、いざ自分が就いたら接客業だから理不尽に嫌な思いをすることが必ずあるだろう。ガイドも然り。顧客は自分自身でも弟子でもないから、扱いに悩む場面が必ず出てくる。みんな当然そういったリスクも覚悟の上で働いているに違いないけれども、僕は、山で人間に関して少しでも嫌な思いをしたくない。※だからマイナールートを一人で歩いて安全を確認するだけみたいな仕事があるならぜひやりたい。

嫌な面が見えてしまうからこそ、別に好きではない仕事で金を稼いで、好きなことに使う。そういう生き方をしている人は結構多いのではないだろうか。

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