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推しの子の「感情演技」について

演劇人が推しの子について語っているのを聞いたことがない――というのは僕が現役を退いて久しく、SNS上でのか細い繋がりしかないからだろうか。なんというか、すごく狭い檻の中にいるあの界隈が外から見つけてもらえるチャンスなのに勿体ないぞ……と、1期の頃から思っていた。

少なくとも僕が関わった20年間(部活含む)では「感情演技」なんて言葉は聞いたことがなかったし、推しの子で語られているそれは、演技に対して誤解を生むものですらあるとも思う。ググるとこちらの記事がヒットする。

「大げさに泣いて叫んでいる演技が、感情演技ではない」。その通りである。しかしこの記事は推しの子に関しては言及されていないので――現役ではないのに――僕がもう少しだけ掘り下げてみる。



感情演技とは?

本来は「感情演技が苦手」という状況がおかしい。俳優は常に、役の感情を根拠に演じているはずだからだ。「感情演技」とやらが苦手なら、「演技」が苦手なはずである。

「どっかで見た演技を繋ぎ合わせてそれっぽく演じるのも才能」と監督さんが言っていたり、メルト君が本番でやっと評価されたり(ゲネまで放置されているのはあり得ないと思うのだけれどその話は置いておこう)して、作中では「感情を乗せると凄い演技になる」みたいな設定になっているが、これはバントが必殺技とされている野球みたいな状況と言える。

基礎だ、それは。

推しの子ではパニック障害を絡めることで、アイの記憶(と想像)を使うのは奥の手みたいな感じで描かれているけれど、本来、そこは入り口に過ぎない。難しいのは、感じたものをオモテに出すことだ。


感情をオモテに出したことはあるか?

稽古場でアクアは重曹ちゃんに「普段から感情を表に出さない」「だから演技にも感情が出てこない」「どこかで見た見本を見本通りに再現する事しかして来てない」と言われている。本人も認めているように、全部正しい。

アクアにないのは「強い感情を抱いた経験」ではなく、「感情をオモテに出した経験」のほうなのだ。この問題は作中では記憶を引き出した勢いで解決してしまうのだけれど、多くの場合、解決しない。

何か強い感情を抱いたら誰だって叫ぶだろうか? そんなことはないだろう。日本人なら叫ばない人のほうが多いとさえ思える。

役者の内部ではどうやらきちんと感情が発生しているようなのだけれどオモテに出ていないから伝わってこない――という状況がよくある。だから「それじゃ伝わらんぜ」とダメ出しされ、感情が乗っていない無理な出力をしてしまう――という状況もまたよくある。


感情をオモテに出すのが難しい理由

感情をオモテに出す(感情解放)が難しい理由は三つある。

第一に、アクアほどではないにせよ、多くの人間が普段、感情をオモテに出さずに生きているからだ。赤ん坊の頃はブレーキなしで垂れ流しだった感情は、社会性を身につけると共に抑制されていく。隠す習慣はなかなか忘れられるものではない。

第二に、人の目があるからだ。たとえば自室で一人でいる時や、家族に対しては感情を出せても、衆人環視の中で同じように振る舞える人は滅多にいない。傍若無人という四字熟語もある。傍に人がいたら、一般的に、人は控えるものなのだ。舞台には観客がいる。この視線を跳ね除けなければならない。

※観客との相互作用だとか、笑い声で演技がノるというのは、現実として起きている現象なのだけれど、感情解放を語る上ではノイズであると考える。観客の反応は本来、劇空間には存在しないはずのものであり、発生しているのは「役」のピュアな感情ではない、「役者」の自己顕示欲が満たされる喜びである。

第三に、舞台用の高出力が必要だからだ。カメラが目に寄ってくれたり、指の動きを捉えてくれるなら、小さな表現でも伝えられる。カメラワークと編集が上手ければ突っ立っているだけでもかなりの情報を盛り込める。が、いかんせん、劇場は広い。

普段は隠している感情を、人前で、遠くまで届くように発しなければならないのである。感情うおおお〜で解決するものではない。

付け加えると、第四に、舞台のルールや演出の指示を守らなければならないという側面もある。自分の表現にだけ集中するわけにはいかない。原則として(注目されている時)客席に背を向けてはならないし、セリフは決まっているし、立ち位置やタイミングを指示されることもあるし、死んでも暗転したら歩いて去らなければならないのである。

このように、苦労するのは「感じること」ではない……

のだが、


フィクションはあれでいい

感情解放のトレーニングをちまちまやられても、地味過ぎる。見せ物にならない。物語としては「あの記憶を使うのか、うおおお〜!」で大正解だと思う。

技術的に細かいところを一般人にわかりやすいようエンタメ化されるのなんて、スポーツ経験者にとっては日常茶飯事だろう。

そして、感情が伴っていない「大げさに叫んでいる演技」でも、実際のところ、観客の8割にはバレないだろう。7割は「すごい迫力〜!」と喜ぶ。1割は何とも思わない。前のほうの席で見ていて人間の機微に敏感な人だけが察するだろう。

推しの子は驚いたことに、客席後方からの視点にかなり長い時間を割いている。普通のアニメなら放送事故に近い。演劇経験者としては大変なリアリティーを感じるが、一般の方々はあれをどう見ているのだろうか。ともあれ、物語上重要なシーンはさすがにあの距離ではなかった。実際の劇場では、どんなに重要なシーンでも客席が後方ならあの距離である。

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