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日本の女は何故韓国の女性アイドルが好きなのか

 というのは、私は特別韓国の女が好きではないからである。熱狂的なファンということはないが、どちらかと言われれば私は日本のアイドルのほうが好きだし、日本の女のほうが好きである。
 どうも韓国の女というのは人工的で好かない。体型にしろメイクにしろ踊りにしろ、何か自然というより、人工美を売りにしている感じがする。それは言うなれば、娼婦的である。
 日本の女性アイドル(アイドルといっても色々いるのであろうから、ここでは比較的有名なアイドルを指す)はというと、処女的である。それは技術というより才能である。完成ではなく未完成である。
 そう考えれば、日本の女が韓国女風を目指すのもわからなくはない。それは技術であり、つまり誰でも目指すことができるからである。一方処女というのはどうにもならない。目指すことはできないし、高めることもできない。一昔、「かわいいはつくれる」というキャッチ・コピーのコマーシャルがあったが、処女はつくれないのである。
 日本の男というのは(というのは外国の男を知らないからであるが)、女の技巧的な部分にはあまり惹かれないようである。例えば女を褒める時に、「気立ての良い女」とか「愛嬌のある女」とか言ったりする。これは技術ではなく才能であろう。処女的である、というのも言うまでもない。
 そう思うと、では才能のない女はどうすればいいのか、という声も聞こえてくるが、そう言われても私にはよくわからない、と言うしかない。
 そんなことを、HKT48の『ビーサンはなぜなくなるのか?』のPVを観ながら思った次第である。


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