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小説『私』(読了目安時間約3分)

 教室の窓は開け放たれていて、時々強い風が吹いて、カーテンを翻す。窓際の生徒は、それをうっとうしがりながらも、次に吹く風を待っているようだった。
 教師の声が遠く聞こえる。私は窓際の様子を眺めながら、早く授業が終わることを祈っていた。
 別に授業がつまらない訳じゃない。ただ今の私には、もっと大切なものが、その窓際に見えるからである。
 友達が面白半分で喋った話に、ドッペルゲンガーというものがあった。自分と瓜二つの人間が現れ、それを見ると死んでしまう、というものである。
 窓際のカーテンが揺れる。表と裏が入れ替わる。陰が日向に変わる。その瞬間に、私は「私」を見つけた。窓際に「私」が立っていたのだ。
 学ラン姿の「私」は、外を眺めながらじっとしている。瞳は静かだけれど、どこか寂しそうで、他人を拒絶していながら、誰かに話しかけられるのを待っているようだった。
 誰もその「私」に気づいていない。先生も友達も、各々が、各々したいことをしているだけだった。
 私は「私」に話しかけようと思った。そう思いながらも、時計の針は急いではくれず、授業はなかなか終わってくれなかった。

放課後、私は部活もしていなかったから、自分の席で誰もがいなくなるのを待つことを不審がられなかった。けれども、同じクラスの女子二人組が、まだ帰らない。そのうちの優奈という女の子が私は密かに気になっていた。肩までの黒髪に、はっきりとした目が印象的だった。私は優奈に話しかけようと、何度も思いながらも果たせないでいた。私なんかが、彼女に話しかけてはいけない気がした。
 そう思っていると、優奈たちは、教室のドアを閉めて出て行った。笑い声が遠ざかった。私は窓際を見た。「私」だ。今、私は「私」と二人きりになった。私は立ち上がって、窓際に近づいた。「私」は遠くを見たままだった。
「キミは僕だよね」
「私」は私を見ずに答えた。
「そうだよ」
「何故外を見ているの?」
「戻りたいから」
「戻りたい? どこへ?」
「あの校庭のずっと向こうまで続く空の下にあるだろう海に」
「海に帰りたいの?」
「ううん。もう戻れないんだ」
「何故?」
「海はね、優しいし、あたたかくて、誰も僕を傷つけたりしないんだ」
「なら戻ったらいいじゃない」
「ううん。だけどね、一人なんだ。海のなかには誰もいない。誰も僕が、あたたかい、とか、優しい、とか、孤独だ、とか、思っても、一人なんだ」
「一人じゃ駄目なの?」
「うん。僕はね、一人でいることに飽きたんだ。一人でいることが寂しいんだ。一人じゃね、そんなことを、聞いてくれる人もいないんだ」
「だからキミはここにいるんだね」
「うん」
「誰かに声をかけられるのを待ってるんだ」
「うん」
「そうなんだ」
「だけどね、もうそれじゃあ駄目だとも思ってるんだ」
「うん」
「自分から話しかけないとね」
「うん」
「でも、その勇気が、僕にあるかわからないんだ」
「そうかな?」
「どういうこと?」
「だってさ、僕はキミに話しかけたよ」
 窓際の「私」は驚いて振り返った。
 私は笑いながら言った。
「僕はキミだよ」
「そうだね。キミは僕だ」
「なら、きっと大丈夫」
「だといいけど」
 「私」は笑った。
 次の瞬間、突風が吹いた。カーテンがめちゃくちゃに暴れた。私は目を瞑って、カーテンを押さえた。風がおさまって、目を開けた。「私」はいなかった。
 あるのは、黒板と、机と、椅子と、カーテンと、私と。
 外から笑い声が聞こえた。優奈の声だ。それが近づいて来た。
 胸が高鳴った。汗が滲んだ。喉が渇いた。声がドアの前まで来た。
 私は、ドアが開いたら、きっと優奈に話しかけるだろう。何故なら、私はドッペルゲンガーに会って、今死んだのだから。

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