体験の渡し方

私も妻も本もマンガも好きで、よく何かを読んでいる。10年位前に今の家に引っ越しをする際、ボリュームを把握したいと思って自分の蔵書を数えたら確か2000冊くらいあった。そのときにいくらか処分したけど、それにマンガを加えて、この10年購入したものを加えて、妻の蔵書を加えたら、それなりの数になりそう。最近はkindleで買うことも多いので、潜在的な蔵書も含めれば、まあ、家に本はある方だと思う。

そんな環境だからか、子供たちもよく本を読むほうだと思う。2人で遊んでいるときもいつのまにかソファに二人で座って各々本を読んでいたりするし、いま私がこれを書いている横でも次女が何を読んでいる。

何を読むかは本人が決めればいいと思っていて、本屋に行ったときに買ったものもあれば、家にある親のものも読んでいるときもある。ポケモン図鑑にハマっているときもあれば、なぜだか妻がもってる子育て系マンガを読んでいたり、最近だと私が勧めてみた理科ダマンというマンガも気に入っているようだ。

本は学びになるからと、親がデザインしたものを買い与えたり、あるいは学びにならないだろうとマンガを読むことを禁止するという家庭があるとたまに聞く。

まあ、言いたいことはわかる。確かに本は学びになるし、マンガは読んだら止まらない。この前もキングダムの最新刊を読んだら、思わずに最初から読み直してしまい(73冊!)、もしそのあとワンピースを読み直したくなったら…すぐに時間は溶けていく。

ただ、高校のときに課題図書で読んだ『ソクラテスの弁明』はひどくつまらなかったけど、ふとしたきっかけで大学生のときに再読したら、シンプルな論理構造に驚かされて、感銘を受けた記憶がある。
もちろん、キングダムは学びの宝庫だ。


マンガ『鈴木先生』で経験率という言葉が出てくる。経験率は体験÷経験
で導き出される。食事をアナロジーとして説明していて、食料を体験、摂取できた栄養を経験としている。
食事の栄養の全ては摂取できず、体調や調理法その他様々な理由で体内に吸収できる率は変わる。栄養のあるものを食べても吸収できないと意味がないし、栄養のない食べものもあれば、体に悪い食べ物もある。
体験の差があっても経験率を上げれば経験を増やすことができる。
そんな主旨の話だ。


私はこの経験率の上げ方の1つに、きっかけの渡し方があると思っている。
どんな体験も、体験する人の準備が整わない限り、経験率は上がらない。渡す体験そのものの違いよりも、受け入れる側の状態の方が、得られる経験の幅に違いがでるのだ。

素晴らしい体験を闇雲に渡すよりも、しょうもない体験を適切なタイミングで渡すほうがきっと経験は大きい。

そしてその適切なタイミングとは、本人が興味をもったとき、必要と感じたときなのだと思う。

親として、上司として、あるいはただの人として、相手を知ってから、体験を渡せれば。
隣で理科ダマンを読み耽っている子供に、いつ、どんな体験が渡せるだろうか。


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