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窓から見る景色
今年は庭の大改造を目指し、本格始動するはずでした。
着手する予定の場所は、ガーデニングに最も不向きとされる西側で、午前中はほぼ陽が当たりません。今その場所に植えてあるのはモッコウバラとジャスミン、それからヤマアジサイ、水仙、ユキヤナギ、コデマリです。それらはすくすくと元気に育っています。
ところが、腱鞘炎の再発と悪化で大改造は暫く休止となりました。
さて、どうしましょう。
どちらにせよ連日の雨で作業は出来ませんが、庭仕事をせずに過ごした事が無いのでポッカリと時間が空いてしまいました。
YouTubeで美しいお庭を見たり、ガーデンデザインのサンプルを眺めたり、少しずつ花壇の手入れをしてみたり…。
また、昨年の自分に「ありがとう」と思ったのは初めての事でした。
昨年の庭仕事から続く今の庭が、身動きの取れない今を癒し楽しませてくれている。
そして、不自由になった右手は左手とペアだったのだなぁ…とも思えています。習慣からつい右手が出てしまい、何度も痛い想いをしてやっと、左手を使うという動作に頭が追い付いて来たようです。
そんな今だから想う理想の庭がありました。
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仕切りを無くそう。部屋と庭の境界を取り外そう。
窓からの庭の景色が部屋の続きの様な
手を伸ばせば木々の葉に触れる事の出来るような
野鳥の囀ずりでさえ部屋の一部であるような、そんな庭をこしらえよう。
もしもそんな庭が出来るとすれば、私に今出来る事は作業よりも待つ事なのかもしれない。庭の一日を、季節の移り変わりをもう一度、眺める事なのかもしれない…。
四六時中人の手が入る庭ではない
世話をし続ける庭ではない
そんな方法があるのかも…
お臍の上まで上がって来てるのに
心にまでは到達していないそのアイディアを、花たちを眺めながら待ってみようかな
と、思っているところです。