「チームワークが苦手」という人が本当に苦手なもの
本当に苦手でイヤなのはチームワークではなく、「馴れ合い」「エセ民主主義」
この記事を読んでふと思ったんだけど「チームワークが苦手」「団体行動が苦手」という人って、チームプレーさせてみると、実はそんなにチームプレーが下手でもないし、「チームワークが大事」って言ってる人よりむしろチームワークが上手い人が多い、ってこと。
チームワークが苦手、ストレスだって言ってる人が本当に苦手なのは、気持ちが悪い馴れ合いや、意味のない社内政治、皆の意見を尊重しているように見せかけて、その実、チーム内の「政治屋」が集めたマジョリティだけで、せっかくのいいアウトプットを殺す「エセ民主主義」だと思う。
本当に大事なのは、チームの目的をしっかり理解した上で、お互いが妥協なく、素晴らしいものをつくるために発揮するプロフェッショナリズムと、その効果的な「合力」だ。
ところが、「馴れ合い」や「エセ民主主義」は一見「チームワークを向上させるもの」のように見えるだけで(文字面だけ聞くと、そのことを否定できないだけで)、実際はそうしたプロフェッショナル同士の火花を散らす、緊張感あるインタープレイを、それができない人がズルズルと引きずり落とすための方便になっている。
だから、「チームワークが苦手」という人のほうが、むしろチームワークが得意というのも、考えてみれば当然のことで。こうした人たちは「他人と自分とは異なる」ということを骨身に沁みて知っているし、その上で、どうすれば互いに理解できるか、協力できるかについて、非常に真摯で、深い洞察、経験を持っていることが多いんですよ。
他方、簡単に「チームワークだよね」と言いつつ、馴れ合い、社内政治、エセ民主主義にばかり興じてる人は、すぐに他人を自分と同化してしまう。自分たちの「馴れ合い」や「エセ民主主義」が、どういう「他者」を否認してるかについて、まったく無自覚。そも「他者」という概念を持っていない。だから、チームプレイさせると、「チームプレイ」が目的になって、「よいものをつくる」というゴールをとたんに無視してしまう。結果、彼らが「チームプレイ」と呼ぶものを無視した場合よりも、むしろアウトプットのレベルが低いのだ。
だけれど、そういう、気持ちの悪いやりとりを見て、真面目な人ほど「うーん。ぼくはチームプレイが苦手なのかもなあ」と反省してしまう。
無理が通れば道理が引っ込む。悪化が良貨を駆逐する。その典型だと思う。
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