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ドイツ漫遊記24~ヘルマン・ヘッセを訪ねて~

大学時代の心の支え

 就活するかどうかで迷っていた時期に、私は一冊の本に出会った。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』である。国語か何かの教科書で名前だけは知っていたが実際に読んだことはなく、ふと気になって手にして読んだら衝撃を受けた。
 一言で言えば『エリートの転落物語』なのだが、妙な共感を抱いたのである。私自身は『車輪の下』に出てくるような主人公のように、特にエリートだったというわけでもなく、周囲から何かを期待されたわけでもなかった。小中高と何も考えておらず、なんとなく父親の手伝いをした延長で施工管理の会社に入ろうかなと考えていたくらいだった。就職しなくても、細々と創作に耽っていれば、それだけで十分に幸せだと考えていたのである。
 就活を始める前、私はヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読み、自由に生きるためにどうすればいいのかを考えていた。
 私の周りでも、『車輪の下』のように周囲の期待や社会の重圧に押しつぶされて、かつては神童と呼ばれた人であっても、全く普通の人になってしまった人がいた。そのようなプレッシャーを私自身が感じたことがないだけに、周囲の期待や社会の圧力というものから、どうやって解き放たれれば自由に生きられるだろうと考えたのである。
 大事なことは、そのようなことを考えないことであるのだが、嫌でも当時は考えなければならなかったのである。というのも、大学卒業までの間、両親に世話になり、自分自身は何一つ食っていく力も無ければ、食いっぱぐれない自信もなかったのである。
 次第に所属していた研究室内では『職を見つけた奴が正義』という風潮が流れ始め、その流れに押されながら私自身は慣れないスーツを着て、流されるがままに就職を決めたのである。
 今思えば、もっと自由に自分の好きなことをやっても良かったと思うが、当時は自分が何が好きかもわかっていなかった。それでも、ヘルマン・ヘッセの作品群は生きる術を私に教えてくれたのである。
『シッダルタ』を読んだときに、安定を捨てて生きるシッダルタの姿に深く共鳴した。宗教やスピリチュアルなことに系統をしているわけではないが、本来ならば安心安定の幸福な生活が約束されている家系であるにも関わらず、自ら進んで大変な道に進む姿に感動したのである。
 考えてみたら、今の私は正にそれに突き動かされていると言える。自分の心の中のどこかにずっと『安定に落ち着いていたくない』という気持ちがあったのだ。
 何の能力も無い若造だったから、ずっと不安定だった。そのまま会社に入って仕事をしていくうちに、遂に安定というものに気づき始めた。それが27歳ぐらいの頃の話だ。入社して一年で、幸運にも地獄のように苦しい現場を任され、幽体離脱や寝坊を体験するほど追い詰められた。それを乗り越えた後は、ほとんどのことが些細なことになった。強いモンスターを倒してレベルアップしたら、全てのモンスターが雑魚になったようなものだった。
 このままじゃ腐るなと思っていた頃に東京に転勤した。覚えることは増えたが、それでも一年目の地獄に比べれば取るに足らないことだったのだ。ちょっと頑張れば出来てしまうことに人は感動しない。段々と退屈に支配されるようになっていった。
 ふと外を見れば、何かに向かって一所懸命に突き進む人たちがいる。ちょうど、『車輪の下』でハンスがヘルマンを見たときのように、自由に突き進む人たちの姿を見て、自分も飛び出さなくてはならない気がしたのだ。
 そうして、私はサマセットモームの『月と六ペンス』に出会い、仕事を辞めることを決意した。思えばヘルマン・ヘッセの『シッダルタ』も、サマセットモームの『月と六ペンス』も、大転換した人物が中心となる物語だ。
 そんな物語に影響を受けて、自分も今まさに大転換の中にいるのだろう。

  

ヘルマン・ヘッセの生まれた地、Calwにて


Calwを見つめるヘルマン・ヘッセ

 ヘルマン・ヘッセの銅像を見たとき、言い様の無い感情がこみ上げてきて目頭が熱くなった。彼の作品に出会わなければ、今ほど物事に対して考えたりすることはなかっただろうし、今のような生き方もしていなかったかもしれない。彼の作品を読んだことが、私の人生のあらゆることに生きている。
 写真を撮りたいなと思っていると、同じく老夫婦が写真を撮りたがっていたので、「お写真、取りましょうか?」と先に言って写真を撮ってあげた。その後で、奥様の方に写真を撮ってもらった。「どこから来たの?」と聞かれたので、「日本から来ました」と答えると、旦那さんは「私たちはブラジルから来ました。アリガトウ」と言って会釈をして去っていった。日本の間反対に位置するブラジルの人と、ヘルマン・ヘッセの銅像の前で出会う。どんな奇跡が起これば、そんな出会いが生まれるのであろうか。

 それからのCalwの散歩は、楽しくて仕方がなかった。ここをヘルマン・ヘッセが歩いたのだろうかと思いながら、黒い森とも呼ばれる深い森林の中で、私は大学時代の頃の自分に伝えたい気持ちになった。「十年後くらいに、君はヘルマン・ヘッセの生まれ故郷に行くんだぞ」と。きっと『シッダルタ』や『車輪の下』、『デミアン』を読んでいた頃の私は「まあ、行くだろうな」と答えるだろう。
 自分の記憶に、経験に、Calwの街を刻み込むように私は森の中を歩き、街を散策した。何度も思い出せるように写真や動画を撮り、時に立ち止まって耳を澄ませて、穏やかな日曜日のCalwの街をじっくりと堪能した。
 それは私にとって、記念すべき日だった。遠く日本に生まれ、もうとっくに過去の人となったヘルマン・ヘッセに会いに行く。それが他人にとってどれだけ価値の無いものだったとしても、私にとっては黄金に輝く一つの体験になったのだ。生涯忘れることはない一日になった。

Calwに別れを告げて

 名残り惜しい気持ちでいっぱいだったが、何度もヘルマン・ヘッセの銅像の写真を撮り、バスに乗って再びシュトゥットガルトへと戻った。
 じっくりと思い出を確かめながら、私はヘルマン・ヘッセに感謝を伝えた。

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