勉強は贅沢だ、という話。
勉強は贅沢なんだという話です。
ずいぶん前ですが、ツイッターである新聞記事がながれてきました。
20年引きこもりをしていたが、親から「君のことを愛してるから、変わらなくてもいい。でも私たちは君より早く死ぬ」と言われたことを機に、親の財産を元手に大家として生きるため各種資格を取得する流れで司法書士試験もパスし実家で開業した…ざっくりいうとそんな話でした。
読めば読むほど、親御さんの偉大さが改めて浮き彫りになる記事でした。厳しい環境からもがいて司法書士試験に合格した本人の努力と根性はシンプルに素晴らしいと思いつつも、間違いなく親の庇護のもと・親の援助ありきだからこそ成し得たことで、私はこの記事を読みながら、勉強はやっぱり贅沢なものなのだ、と考えていました。
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20代後半に差し掛かった私は、司法書士試験の合格がいよいよリアルに感じられるところまできていました。
知識は小さい脳みそにピッチピチに詰まり、死ぬほど働いて仕事量をこなし経験をストックし、補助者ながら自分のクライアントを持ち始め、数年内には合格して次のステップだな、と自信に満ち溢れていました。妻にも「ずいぶん待たせたけど、俺は必ず受かる。」と伝えました。
妻は出会って結婚してから、私の受験について「あなたの好きにしたらいいけど、もうあなただけの人生じゃないから、試験のせいで私やお腹の子供を振り回すことだけはしないでほしい」というスタンスを一切ブレることなく持っていました。
結局合格までこのスタンスで、合格発表日16時1分に「受かってたよ」と電話したら「え?…あ、今日発表日なんだ。おめでとう。ガチャッ、ツーツー」という超クールな対応をされたくらい徹底していました。義父のほうが喜んでたよ。
支えず、でも突き放さず。
ずっとそのスタンスで見守ってくれました。
でもいま振り返ればこのスタンスに助けられたなと思うこともあります。支えてくれるのはとても力になるけどその分、落ちた時に不甲斐なさが1,000倍になりますからね…。
私にとっては一世一代の大勝負、これで人生を上昇させられるかもしれないと意気込み励む勉強も、私の妻にとってはどうでもよくて、むしろそれによってワンオペに拍車が掛かったり土日に家にいないような事態は困る、という一貫したスタンスを見ながら、私は「ああ、私がやっていることは自己満足であって、贅沢なことなんだな」と思いました。
かつて勤めていた事務所のボスは「君が受からなければ奥さんも含め家庭全体が浮上できない。だから奥さんには少し我慢してもらいなさい」と言っていて、当時の私も難しい試験ってそんなもんだよなぁと思っていたけど、妻の言っていることや姿勢を見て(妻が正しい、私がやっていることは家庭や妻より優先すべきことじゃない、やりたいならば妻や家庭の以外の全てを我慢したうえでやるべきだ)と考えを改めました。
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仕事をしながら勉強する人は本当に大変だと思います。私もやってたからわかります。マジで死ぬほど辛い。
でも、それ、贅沢なんですよね。勉強してるのって贅沢なんですよ。嫌ならやらなきゃいい。ウチ帰ってビール飲んで寝たり、恋人や友達や家族と遊びに行っちゃえばいい。
だけど、司法書士試験を目指すって決めて勉強始めてまだ続けるなら、自分が勝手にやってることなんだから、「仕事が大変だぁ」とか「家庭のゴタゴタがぁ」とか他のなにかのせいにしないでやり切るしかないんですよ。それが嫌なら辞めればいいんですよ試験勉強なんて贅沢なので。
って私は思います。本気で思っています。
兼業受験生で仕事が忙しくて…みたいなこと言ってる人は今すぐやめたほうがいい。時間がもったいないので。「真剣にやってない試験勉強時間」はホント無駄です。無駄にした本人が言うんだから間違いない。言ってて超悲しい。
時間を無駄にした人(私含む)は「いやまあ結果的にね、あの無駄な時間があったからね」「一見無駄に思えることが逆にね」的な結果論を言いがちですが、いや最初から真剣にやればもっと短縮できただろ明らかにだらだら続けてたじゃねえか、って指摘を否定できるヤツはいないはず。
だからこそ、働きながら死ぬ気で勉強を頑張っている人を見るとすごく応援したくなりますし、私が受験生(本当に頑張るつもりのある受験生)しか雇わないのは、そういう体験に起因しているのかなぁと思います。
あと1ヶ月。
また最早関係ないのにソワソワする時期が来ました。