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2021/06/27 即興詩「箱を、買う」
形から入っても
中身が伴わないと
悲しくなって投げ出すことがある
どのような中身が
私に伴うのかは
実は 期待と実際が違うことがある
思い通りにいかないと
うまくいかないと感じるのは
何故だろうか
思い通りにいかないと
気持ちが下がるのは
何故だろうか
始めから決めてかかる
こうなるはずだ
こうに違いない
これらがあるから 楽しむ余裕がなくなる
結果を期待せず
頭を固くせず
結果を受け入れながら
じんわり感じとる余裕は
しかし 今の僕らにはない
思い通りの結果を
よもや 思い通りがなんなのかすら
説明できない上に
一体何を手に入れようというのか
それならばいっそ
風に煽られる木のように
柔軟にしなりながら
生きる道もあるかもしれない
その中で感じることを
感じるままに楽しみながら
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生きることが長くなれば長くなるほど、ある程度の物事に予想がつき、その期待値を元に行動するようになります。
そこで、未だかつて出会ったことのない事象に出会った時、期待通りではないことが生まれることがある。
そんな時に感じる、うんざり感、だるさ、無気力感など、重ねれば重ねるほど嫌になってきたり、気分が乗らなくなったりすることがある。
だからといって、別に継続をしないといけないことばかりではないし嫌ならやめればいいと思うのですが、現実そう判断することがこの世にどれだけあるのでしょう。
これまでかけた労力と現状とを天秤にかけたりして、今自分が本当に求めていることがわからなくなったり、判断することが億劫になってだらだら続けたり、前向きな判断にならないことが多い。
それは、過度な期待と変な諦めのなさが原因のようにも思います。
もっと言えば、こうした方がいい、ああした方がいいという外部からの観念に強く圧迫され、自分が本当に望むことを感じとる習慣が無くなってきたことも一つの原因かもしれません。
いつもここの解説というか雑感みたいなコーナーを書きすぎるし、あんまり読む人のことを考えられていないなあと思うのですが笑、何か一つのことを伝えようとすると、並行して生じている想いみたいなものは複数が走りますよね。走りませんか?