結果は他責で、振り返りは自責で。
「自責で捉えよう」
若手の社会人はそう言われることが多いのではないでしょうか?
一方で、“自責”という言葉の捉え方を誤認して、苦しい方向に進んでしまっている人を見かける場面があるように感じています。
今日はそんな話を書いてみようかと思います。
結果は他責で捉える
「これは私の責任です」
私の責任=自責、とまさに自責を体現した発言のようにも聞こえます。
ただ、この“自責”は結果(=誰のせい)を自責で捉えているように感じます。
「こうなったのは、自分のせいだ」とうまくいかなかったことを自分のせいに。そして落ち込んでメンタルにダメージを受けるだけ。。
自責傾向が強く、自分ができなかったと落ち込んでしまうタイプの方などは思い当たることもあるのではないでしょうか。
むしろ「誰のせいだったか」なんてどうでもよくて。なんでその事象が起こってしまったのかと仕組みを見直すきっかけにすることが、健全にコトを前に進めるのではないかと思います。
自分のせいなんて言葉で思考停止せずに、シビアに現実を見てなぜ事象が起こったのかを直視することが大切です。
振り返りは自責で捉えよう
じゃあ「自責で捉えよう」というアレは一体なんなのか?
それは過程=振り返りを自責で捉えるということなのかと思います。
改善につなげるために、「自分の行動で変えられるとしたら何だったのだろう?」を考える。
これがよく言われる「自責で捉えよう」なのかなと思います。
振り返りが他責だと
・時間が足りなかった
・情報が足りなかった
・アイツがちゃんとやってくれなかった
などと。自分以外のものは変えられない。もう一度同じトライをしても同じ失敗をしてしまうことになります。
自責で捉え直せば、自分の行動を変えることに繋がります。
・時間が足りなかった
→時間を創るには何ができたのだろか?
・情報が足りなかった
→情報にアクセスするためにできることはなかったか?
・アイツがちゃんとやってくれなかった
→アイツに動いてもらうために自分ができたことはなかったか?
まとめ
以上。まとめると、
「起こったことは他責で、振り返りは自責で捉える」
僕自身も結果の自責傾向が強い時期がありましたが、むしろ改善のためのポジティブな自責を心がけて行きたいなと思います。
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