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【感想】いま、会いにゆきます

こんにちは、tocoです。

今日は、前職(まだ辞めてないけど)の大好きな先輩から
送別会の時にお薦めされて以来ずっと気になっていた映画、
「いま、会いにゆきます」の感想です。

2004年制作なので、20年ぶりの鑑賞。
生前の竹内結子と中村獅童の出演作。

断片的に覚えているセリフや、断片的に思い出すストーリー。
改めて、とてもいい映画だったけれど、
それ以上に、色々と考えさせてくれる映画でした。

***

自分が死ぬ運命とわかっている未来を、
私は、自ら選択して進むだろうか?

主人公の澪(みお)は、きっと、
運命は変えられると半分くらいの希望を持って、
残りの半分は、たとえ変わらない運命だとしても、
こぼれ溢れるほどの幸せを確信して
巧(たくみ)に会いにいく。

この世界の普遍的な真実、
つまり、生まれた意味や生きる意味のひとつは、
ここで描かれた「主観的な幸せを感じること」だと思う。

そして、それを気づかせてくれるために、
それに気付いた人たちがこうして、
映画や音楽や小説、あるいはアートや舞台といった、
さまざまな形でヒントを残してくれていてる。

この作品も、その一つ。

***

少ない登場人物で構成される物語も、
そのヒントに気づかせてくれる。

澪、巧、佑司。
野口先生と職場の同僚みどり、
佑司の担任の先生、女友達の彩ちゃん。
ケーキ屋さん、お葬式に参列した親戚たち。

もちろん、他にも多くの人物が登場するが、
秋穂(あいお)家の主観的な幸せに対して、
関わることは少ない。

世の中はこれほどまでに小さく狭く、
それで充分に幸せを感じることができる。

多くの人との繋がりや社会的な地位や成功も幸せ、
限られた人たちとの狭く深い繋がりもまた、幸せ。

比べるものでも、比べられるものでもない。

自分だけの、主観的な幸せ。
それを感じさせてくれた。

***

ところで。

私は、なぜ「主観的な幸せ」が大切だと思うのだろう。
それを「普遍的な真実のひとつ」と、考るのだろう。


幸せだと、争いや戦争がなくなるから?
昔から多くの人が、極楽浄土を願っていたから?
死ぬ時には、何も持って行くことができないから?


少し前に観た「日日是好日」。
黒木華さんと樹木希林さんの、静かで素敵な作品。
晴れの日も雨の日も、厳しい寒さの冬も太陽が照りつける暑い夏も。
毎日がそれぞれ、良い一日。
絶対的な幸せ。

同じく少し前に観た「インセプション」。
クリストファーノーラン監督の代表作の一つ。
最後のシーンで、コマは回り続けるのか倒れるのか。
様々な解釈や意見がある中で、私の解釈は「どちらでもいい」。
コブが、子どもたちに出会えた事実が全て。
これも、絶対的な幸せ。


主観的な幸せについて考えた時に、
思い出したこの二つの映画に共通する絶対的な幸せ。

自然に別の言葉になったけれど、
意味するところは同じだと思う。

絶対的とは、主観的であって、
主観的とは、絶対的なものだ。

***

ここで、先ほどの問いに戻る。

なぜ私は、主観的な幸せ ≒ 絶対的な幸せを、
普遍的な真実のひとつだと思うのか

相対性を持って比べることなく、
誰でも手に入れられることができるから。

どんな状況にあったとしても、
いついかなる時も、そこにあることができるから。

万有引力や重力といった、物理学でいう絶対性への憧れや安心感。
宇宙の普遍的な仕組みを、そこに重ねたいという願望か。

つまり、幸福や愛を求めることを
間違いのない、絶対的で普遍なことだと信じたい

それで安心したいのかもしれない。
少し見えた、私の根源的な希求。

***

それに続けるように、澪が病院で見たように、
自分が死ぬ時のことを想像してみる。

正直、まるで想像できないけれど、
妻より先には死なないと約束したから、
私の隣に妻はいないはずだし、居てほしくはない。

ずいぶん考えて、まずはそのことを願った。


それから、
ひとりで、緑豊かな公園の白い木製のベンチに座って、
今こうして静かに思いを巡らせているように、
幸せな人生を一つずつ振り返りながら、
心安らかに、笑顔でこの世界での最後の瞬間を過ごしたい。

そう願いを続けてみる。

そこに向けたこれからの人生。

きっと他愛もない、平凡な日々がその大半を占めるだろう。
思い出すにも足らない、命を翌日に繋ぐこと以外、
それ以上でも以下でもない日々も、多くあるだろう。

もちろん、大きな感動や喜び、挫折や苦悩もたくさん味わうと思う。
深い悲しが訪れることも、そして、それと同じかそれ以上の、
深い幸せを味わうことも知っている。

幸せになるために、生きる。
幸せであるために、生きる。

そういうふうに、私は生きたい。
ひょっとしたら、人生は、これだけのシンプルなものかもしれない。

***

少し視野を拡げてみる。

なぜ人は、働くのか。
なぜ人は、社会をより良くしようするのか。
新しい事業を興し、会社を成長させようとしているのか。


思うに、これまで人は、幸せを求めて働いて、
幸せを求めて新たなチャレンジをしてきたのだと思う。

大好きな人にいつでも会いに行けるように、道路や鉄道、飛行機ができた。
大切な人といつでも連絡できるように、手紙や電話、ネットができた。

これらを作るために、多くの素材や部品が必要で、
そのための機械や工場を作るための様々な技術が発達した。

もっと早く、もっとずっと、できるだけ簡単に。

いつの時代も、その瞬間それ自体で、絶対的に幸せだったものを、
さらに、幸せを感じるために、世の中は成長してきた。


ビジネスの話だけではない。

大切な人の命を守るために、
相手の命を奪ったり、自分の命を捧げてきた時代もある。

決して肯定してはいけない話だけど、
それでも、彼らが不幸だったなんて、
私が断定なんてできないし、すべきでもない。

ただ一つ、その先人たちのおかげで、
平和を守るためのルールや政治が作られ、
世の中は、一歩ずつ成長してきた。


ただ、このように考え感じることができるのは、
いま、私がこの国で、この社会で恵まれているからに過ぎない。

世界には、まだまだ貧困に苦しむ人たちが多くいて、
世界には、まだまだたくさんの人が殺し合いをしている。

世界なんて遠い話をするまでもない。
日本の中にも、多くの貧困や差別に苦しむ人たちが多くいる。

もしかしたら、いま、私の隣の席に座っている母親と赤ちゃんも、
実は抱えきれないほどの悩みや苦悩を抱えているかもしれない。

救うべきは誰だ?どうやってそれを知る?
そもそも、他人が手を差し伸べて、救うべきなのか。

幸せのために、何をすべきか。
日本では何をすべきか、世界に対しては何をすべきか。
今日は何をすべきか。明日は?

***

最後に、心に決めたことを。

私は、幸せになるために、生きる。
これからの人生、幸せを感じながら生きる。

少なくともそのことを決めた。

もちろん、いまも幸せ
改めてだけど、そのことを書き留める。

自分のために、誰かのために。

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