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「星に願いを」を聴くといつも泣いてしまうのは

シンデレラ城を出ると日が暮れていた。
しばらく歩いていると、ピノキオに登場する、コオロギのジミニー・クリケットを演じるクリフ・エドワーズの「星に願いを」が園内に流れてきた。これは、もう10年以上も前の話だ。

当時お付き合いしていた人と、一緒にディズニーランドに行った。ものすごく楽しい1日だった。だけど、僕はなぜだか分からないけれど、一日の終わりに、この音楽が流れてきたと同時に、多分もう、この人は、僕と一緒はいないのだろう、と思ってしまったのだ。オーケストラをバックに歌うあの気だるい歌声。僕はあふれてくる涙をとめることができなかった。ちょっとトイレ、といってその場を去った。
他人のほんの些細な表情とか、仕草とか、そういうので分かってしまう。なぜだか分からないけれど、分かってしまったのだ。僕はいつも、いつフラれてしまうのかオドオドしていた。

僕はかの女を失いたくなかった。失ってしまったら、僕そのものを失うことと同義だと思ったからだ。23歳の僕には、「自分」というものがなかった。空っぽの容器だった。だから、みんなはじめは僕のことを親切だとか優しい人だって思う。でもそうではなかったのだ。

そして、数ヶ月後に別れることになった。
僕は仕方がないと思った。本当に価値のない人間だと思っていたからだ。
夜になって、一人になると、音楽を流さなくても、「星に願いを」が聴こえてくる。その度に僕は泣いた。何度も泣いた。

あれから僕は、何も変わっていないのかもしれない。僕は、急に孤独に耐えられなくなって、久しぶりに「星に願いを」を聴いた。10数年前、シンデレラ城からでてきて、暗くなった園内に響く「星に願いを」の光景がフラッシュバックした。僕は過去の渦の中に吸い込まれていった。

やっぱり涙が出てきた。久しぶりだったからか、あのときよりも溢れてきた。
中年のおじさんが、一人夜に涙を流すなんて、みっともないかもしれない。

僕はそうやって生きていくしかないのだ。
現状なにも誇れることがないのです。

そんな人間が34年も生きていて、良いのだろうか、もっと生きたかった人達の事を考える。
まるごと差し出したいと思う。こんな人生いらないと突っぱねられるかもしれないが。ないよりマシだろう。そしてうまく使ってほしい。あんまり出来はよくないので、扱いは難しいかもしれないがきっと僕よりは上手くいくと思う。

音楽というのは、本当に不思議な装置である。
恐ろしいとも思う。
僕の人生において、音楽というのは今ではなくてはならないものになってしまったけれど、劇薬のように慎重に扱っている。音楽ってまるごとその人をうまく変えてしまうこともあれば、なにもかもダメにしてしまうこともある。

どうすれば生きていけるのか、馬鹿みたいだよね。こんな歳になって、まだ分からないなんて。
自分が見つからない。「ここ」にいるはずなのに。

じゃあ死ね!と言われたら死ぬのか。
仕事上そういう暴言を吐かれる事もある。そんなのまともに受け止めていたらとてもじゃないがおかしくなってしまう。だけど、僕はそれをへっ、と、受け流すことができないのだ。

その昔、ムーディー勝山がブレークした。
僕はムーディー勝山が華麗に受け流す姿をみて、そんな風に生きていけたらいいのにな、と思った。
ムーディー勝山が実際に受け流せたのかは分からない、むしろ受け流せないからこそ生まれたらネタなのかもしれないとおもうと、苦しくなった。


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守田樹|凡庸な日常
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