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ストリートで作る靴と靴教室、あれから15年。
話は僕が、ストリートで靴を作るパフォーマンスをしていた、15年ほど前に遡る。道端でござを広げたその上には、作りかけの靴や工具が並び、当時、その物珍しさも手伝って、それなりに多くの人々の足を止めた。
「靴を作っています、見ていってください」と、通りすがりのひとりに声をかけ、簡単な世間話を二言、三言つづけながら手を動かすうちに、周りには人の輪ができる。どこで学んだのだとか、どれくらいやっているのかとか、私の足は外反母趾で大変なのだとか。ワイのワイのとやりながら過ぎていく時間が、なんだか縁日の屋台にいるようで好きだった。
そんなある日。ひとりの女の子が、僕の前へやってきてこう言った。「靴の教室はやっていないのですか?」と。どうやら服飾の専門学校に通っていて、ファッションに関わるいろいろな物を作っているそうだが、どうも靴だけは作り方が分からないらしく、悶々としているところ、道端で靴を作っている僕を見つけたらしい。
正直、靴教室で靴を教えることなど、僕の頭の中には微塵もなかった。さらには「俺は靴作家だ」と、実力もないくせに、誰にも負けないプライドだけは十分にあった。普通ならば、「靴教室なんてやっていない」とはなから突っぱねてもよかったのだろうけれど、当時の僕には実力、それ以上にお金がなかった。
「う、うん。教えられないこともないんだけどねぇ・・・」
くぐもった声がどこからともなく溢れ、宙を舞う。天秤にかけられたプライドは、そこだけが重力を失ったかのように、ふわふわと浮いていた。
ときは2009年、とある日のできごと。
人の言うことを聞かないだとか、人と同じことをするのが嫌だとか。僕が教室と聞いてネガティブなイメージしか持てないのは、元来からの学校嫌いだからだろう。そんな僕が「教室」を持ち、誰かに靴を教えることになるとは、天と地がひっくり返ってもないと思っていた。だからと言うわけではないけれど、ルールは極力シンプルに、そしてかしこまらずに、ラフに作業できる環境を作ろうと努めた。
受講料は1時間1000円。好きな時に来て、好きな時間に帰ってよし。使った材料代はその日の終わりに、教えた時間と共にいただくことにした。事情があって来れなくなった時のキャンセル料もない。これが当初のルールだ(今でこそ少しルールは変わったけれど)。
「工房で片足を使って作り方を教えるから、もう片足は家でやっておいで。そしたら時間代浮くし、一人でいっぱい考えるから、上手くなるの早なるんちゃう?」
当時の口癖は、今も変わらない。
道端で靴を作る。1日200枚、用意した名刺がなくなるまで、そこで靴を作り続けた。通りすがりの人と交わす会話が、自分の存在を肯定されているようで、嬉しかった。時には厳しい言葉もいただいた。その度に腹が立って言い合いになったりもしたけれど、それは血肉となり、今の自分の礎となっていることは間違いない。
靴教室を始めて、かれこれ15年の月日が流れた。箸にも棒にもかからなかったあの時から幾分か時間が流れ、時代の形相も、工房の在り方も随分と変わった。やむをえず途中で、定期的に中止しなければならない状況になったりもした。それでも続いているのは、靴や革や足に興味を持ち、「靴を作ってみたい」と思っている人たちが、まだまだたくさんいるということで、それががなんだか嬉しかったりもする。
数年前から増えた、作家としての創作の仕事と、職人としての制作と。実は今、それらに追われるようにして、少し控えめになってしまっていた教室を、今一度、しっかり整理したいなと計画している。2025年のあたまには、ルームシューズ。春先から晩夏までは工房以外でも実施できるサンダルの教室を企画中だ。
15年前、あの時の道端での出来事のように、ワイのワイのとやりながら。作る手も、感じる心も幸せなひと時になれば。などと妄想を繰り返しつつ。
<文:森田圭一>
靴教室について
https://www.kutsuya-koubou.com/workshop/ws_index.html