モット・ザ・フープル「すべての若き野郎ども」
都内の清澄白河駅から徒歩4分、ロック好きにはたまらない、カフェめし屋&ロックカフェ店があります。カフェ•ジンジャー•ドット・トーキョー。オーナーさんがめっちゃ音楽通で、私もずいぶん訪ねています。
noteに、そのオーナーさんの個人的ベストアルバム100の記事がありまして、1位がフェイセス、2位はモットザフープルでした。2年前の記事ですので、その時点でのベストですが、何しろ、オーナーさんは音楽の守備範囲が広くかつ深い人なので、今はそのラインナップも半数は入れ替わってしまうことでしょうが、とにかく、区でのレコード講習会や、毎週放送のラジオ番組のパーソナリティーも務めていらっしゃいますし、note上にも沢山の興味深い記事があります。↓
↑このベスト100の1位「馬の耳に念仏」は、先日他の方が取り上げていました。2位の「すべての若き野郎ども」は、私も大好きなので、今回取り上げます。
「すべての若き野郎ども」モット・ザ・フープル (1972年)
A1 スイートジェーンの最初のギターの音でキターッとなります(私が)。ルーリードの曲で、ベルベットアンダーグランドより、このカヴァーの方がよいです!初期の荒々しさが取れてまとまった印象で、このアルバムの成功を予感します。プロデューサーのデビッドボウイがチョイスしたに違いない曲ですし、アルバム全体でも彼の功績は大きいのでしょう。
A2 Momma’s Little Jewel モットザフープルらしい曲。デビッドボウイが関わったことで、グラムロック的に括られがちですが、この曲を聴くと、彼らがこの当時ストレートなロックンロールバンドであったことがわかります↓
そして、二曲目が突然切れ「すべての若き野郎ども」のイントロに突如つながります。この繋がり方にゾクッとし、次第にこの異次元なアンセムソングに引き込まれ、感情はピークに達してしまいます↓
4年前、初めて、カフェジンジャー店に入った時、ランチ時で満席状態だったのですが、店内では、ジェネシスのライヴが大音量で、かかっていて、第一印象は「ヤバい店」でした。しかし、ジェネシスも終わり、食べ終わって静かにコーヒーを飲みながら、周囲を見渡すと、壁画のごとくレコードがフレームに納まっていて、その日は、モットザフープルとイアンハンターがありました。その後、パットメセニーだったり、アンディウォーホールの作品だったり、古いサントラ盤だったり、と色々変わります。先日行った時は、リトルフィートジャケットアート展示会、と化していました。そういうお店です。
オーナーさんは、惜しげもなくレコードを出しては、かけてくれます。こういうのが好きと伝えると、関連するレコードを次々と出して聴かせてくれて、有難過ぎる、アナログ天国のお店です。
普段、サブスク音楽生活の私も、ここで、大きなスピーカーでゆったりと、レコードを聴かせて頂くと、やはりアナログレコードの音はいい、と思いますね。
モットザフープルに、話は戻りますが、彼らは最初の4枚が売れず解散を決めました。しかし救世主はデビッドボウイです。次作(このアルバム)のプロデュースをかって出て、シングル「すべての若き野郎ども」まで提供しました。
B面も素晴らしいです。
ギターのミックラルフスは、後にポールロジャースと共にバッドカンパニー結成のために脱退してしまいますが、この曲↓などは、バッドカンパニーのあのキャントゲットイナフの原型のようなものです。プルースロック的なバッドカンパニーよりストレートでラフですね。
バッドカンパニーのデビュー盤にもこの曲↓ありましたけど、こっちが元ですね。ミックラルフスのギターってほんとカッコイイ↓
モットザフープルのイメージは、もしかしたら、B級、グラム、グリッター、的かもしれませんが、この五作目「すべての若き野郎ども」は、前作までのハードロックは抑えつつ、次作以降のポップ、パンク、グリッター色も薄くて、ちょうどイイあんばいにギター主体のヘヴィーロックであって、実に良いです。グラムとかで収まる器ではありません。彼らの良さを整理した、デビッドボウイの存在が大きかったと思います。
この次作「MOTT」(1973年)は、ギターがやや後退し、ポップでグラムなR&R路線になって売れました。↓
「ロックンロール黄金時代」(1974年)は、ゴージャスで猥雑で危険な香りに満ちていて、これを最高傑作とする声も高いです。私も若い時は、これが好きでした↓
↑この3枚が、おススメですね。初期4枚は聴かなくていいです。
さて、カフェジンジャー店も、コロナ期では、お店の音楽トークイベントが中止となっていましたが、先日再開しました。再開後第一回は「追悼ジェフベック特集」。満席だったようですね。こういうお店がいつまでも、あって欲しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?