ブックレビュー『人間の建設』小林秀雄・岡潔対談
(※令和元年のブログ記事の再録)
令和元年五月現在、
サザエさん一家の磯野波平と同年齢の私が、
今から『人間の建設』が間に合うのかどうか?
そんな疑問をはねのけながら先日読了した。
小林秀雄さんと岡潔さんという
日本の歴史に残る二大頭脳同士の対話は、
期待をはるかに超えて奥深く、
非常に示唆に富んでいた。
というよりも、むしろ全編通して示唆しかなく、
さまざまなことを考えさせられた。
印象に残った箇所を少しだけ引用し、感想を述べていきたい。
岡潔「世界の知力が低下すると暗黒時代になる。暗黒時代になると、物のほんとうのよさがわからなくなる。真善美を問題にしようとしてもできないから、すぐ実社会と結びつけて考える。それしかできないから、それをするようになる。それが功利主義だと思います。」
これはまさに「今の世の中のことではないか」と思った。
例えば古典を読むと、あるいは明治の文豪の作品を見ても、
明らかに昔の人のほうが知力も感性も表現力も教養も人格も、
何もかもが私たち現代人より優れているように思えてならない。
私自身の知力の低さからそう感じる面もあるが、
現代社会の「暗黒性」を見ていると、
あながちそれだけでもないような気がする。
岡さんは、
「ローマ時代は明らかに暗黒時代」
だったと指摘されている。
小林秀雄「(岡に対して)あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。学説は書きますよ、知識は書きますよ、しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実にまれなのです。そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。」
この部分を読んだとき、ハッとさせられた。
私は自分が本当に確信したことを、
自分自身の責任において、
自分自身の言葉で発しているだろうか?
そう振り返ると、少々心許ないものがある。
十分に理解していないことをさも分かったように書いたり、
あるいはどこかで「逃げ」を打ったような書き方をしていないだろうか?
よく考え、大いに反省しなければいけないと思った。
ごく薄い文庫本にもかかわらず、
会話の内容がとても濃密で非常に勉強になった。
私自身「自分の建設」ができたかどうかはわからないが、
少なくともいくらか視野が広がったのではないかと思う。
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