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瓦礫の島で犬の死骸を思い出した

そこにはいつも犬の死骸があった。

今年の4月に友人の結婚式で長崎へ行った。長崎は初めての訪問。ずっと行きたいと思っていた軍艦島の上陸ツアーに参加した。その日は本当に快晴で海も穏やかで良い日だった。島自体は炭鉱らしい昔の夕張を思い出す雰囲気。廃墟ではあるけど乾いているせいか怖さは感じない。

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帰宅して写真の整理をしてみると暗い建物の空洞の窓に少し怖さを感じる。拡大したら何か映っていたりして…と思いつつ画像を眺める。瓦礫の奥の廃墟の画像を見て急に子供の頃を思い出した。

私の生まれ育った街は札幌の隣町。大型スーパーや大学もある札幌のベッドタウンだ。今では綺麗な街並みだけれど、1970年代は草が背丈まで生い茂った空き地や崩れかけた空き家がたくさんあった。小学校に上がる前までは近所の子どもたちと、閉鎖した工場の跡地で遊んでいた。

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足元は一面建物が崩れ落ちた瓦礫。窓も扉もすべて無くなってしまった建物。そこは軍艦島の様子そのものだった。

今思うと未就学児が遊ぶにはかなり危険な場所だ。昭和の子どもは強い。建物はほぼ骨組みのだけの状態で、何かを溜めるスペースだったのか階段を降りるとくぼんだ場所に雨水が溜まっている。途中で階段は崩れ落ちているのでさすがに降りる子どもはいない。

そこにはいつも犬の死骸があった。

犬は身体を横たえ半身が水に漬かっている。「犬が死んでる!」と誰かが騒ぎ、みんなで見に行く。新しい死骸は犬のカタチ。けれども時間が経つと犬のカタチは次第に崩れていく。肉が崩れ骨が見える。シルエットは最後まで犬だったことを残す。あばら骨と目の玉がいつまでも残っていたような気がする。崩れて溶ける死骸を見て「骨が出てきた!」「気持ち悪い!」と子どもたちは、わーきゃー言いながら走って逃げる。死骸のある横で瓦礫のカケラを投げあったり、平らな石を見つけて絵を描いたりして次の遊びを始める。その繰り返し。誰も大人には言わなかったのか、言ったとしても放置だったのか死骸が片付けられることはなかった。

不思議なことに、いつの間にか死骸は消える。でもまた次の死骸がそこにある。私が覚えているのは3体。すべて中型の雑種だ。当時、うちで飼っていた柴犬が逃げ出してしまい、はじめて見るときはいつもドキドキした。茶色い犬だったことはあるけれど毛足が長くてホッとした。

うちの犬はおとなしい柴犬だった。私の記憶の中では一度も声を聞いたことがない。父の作った温室のような小屋で飼っていた。いたずらをした柴犬を母が強く叱ったところいなくなってしまった。「もう年寄りだから死に場所を探しに行った」と他の家族は言っていたけど母はひどく後悔していた。

小学校に上がる頃、工場の跡地はいつの間にか閉鎖されて街で最初の大型スーパーになった。
軍艦島で思い出した、犬の死骸があった1970年代の思い出。

#軍艦島 #昭和50年代 #1970年代 #森泉サヲリ

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