外出自粛の在宅ワーク切替によって「リモート貴族」が可視化されてるぞ、ルネッサーンス!という話
なんかね、その人それぞれに、やっぱ地獄があると思うんですよ。
私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから。
『BLEACH』巻頭のオサレポエムみたいですが、違います。
元TBS・宇垣美里アナの約2年前の言葉です。
外出自粛などによりストレス過多になっている人も多いと思いますが、その攻撃の気持ちを他の誰かにぶつける前に、どうかこの言葉を思い出してください。
その人にはその人の地獄があり、
「○○(言葉としては社会的弱者を置くことが多いですが、実際の尺度としては「自分」であることが大半)に比べれば幸福だろ!」
という非難は、極めて不当なものかもしれないのです。
なぜなら幸福とは、相対評価ではなく本人の絶対評価で決まるものであり、他者の本当の闇を覗くことなど、誰にもできはしないのですから。
・・・というような大前提を置いた上で、以下そういうことを一切考慮せず、単純にめちゃくちゃ他者を羨んでる話をします。
単なるリモートワークではない、「全員在宅ワーク」によって可視化されたものとは
緊急事態宣言以降、リモートワーク、中でもZOOMなどに代表されるテレビ電話会議(以下、めんどくさいので「ZOOM」で統一)を在宅でおこなうというワークスタイルは急速に浸透しました。
自分の場合、以前からそれらに慣れていた方ではありましたが、感覚としてはリモートワークとはカフェやコワーキングスペース等で一人でおこなう作業のことを指し、ZOOMとは「相手か自分のどちらか(または両方)がオフィスにいてやる会議」的なオフィスの延長という位置付けでしかありませんでした。それゆえ「みんな在宅でZOOMをしながら働く」という状況は初めてのことでした。
だから個人的には、従来の「リモートワーク」と現状の「全員在宅ワーク」は完全に別物と感じています。(少なくともストレス判定においては)
なぜなら今回の「全員在宅ワーク化」のせいで「オフィス」という就業環境としての絶対的な平等性は失われってしまった上に、自身の暮らしのレベルをお互いに見せ合いながら働くことになってしまったのです。
「え? ZOOMには背景画像設定とかエフェクトとかあるから関係なくない?」
と思った方は、ZOOM歴がまだ浅いか、相当そういうのに理解が深い人たちの輪の中にいる方か、のどちらかだと思います。
以下あくまで職場利用としての話ですが、ZOOMは背景画像設定だったりスナップカメラなどのエフェクトだったりと、最初こそみんなキャッキャ言いながら楽しめます。
ただ、それはあくまで「非日常」として楽しめる期間の遊びでしかなく、すぐに「日常」と化してしまいます。要は慣れです。
むしろ、みんな不安な気持ちが根底にある期間なのに、いつまでも仕事ZOOMでエフェクト遊びしてるようなやつはイライラされてしまいます。「みんなとっくに飽きてんのに、いつまでも何やってんだコイツ」みたいな視線です。怖いですね。
そういうわけで、実施から1〜2週間も経てば背景は、
1)デフォルトかシンプルな背景画像の設定
2)音声のみ
3)設定なし(カメラまま)
のどれかに落ち着くようになります。スーツ等と同じで、たまに奇抜なやつは気分も変わっていいですが、やはり毎日となるとね。シンプルが一番。
とはいえ実際仕事をする上では、表情や身振り・手振りはわかった方が伝わりやすい&心理的安心安全の確保にもつながりやすいため、2)は聴講に近い・議論や決断をするわけではない会議のみ、に自ずと限られてくるように思います。
エヴァのゼーレを見てもわかりますが、SOUND ONLYで重いこと言うとけっこう怖いですしね。何かを相談するにしても、顔がこちらに向いてるかどうかわからない環境は、けっこう不安を煽ります。
あと、そもそも会社だったら会議室に入ってる時間のはずなので、「昼間からSOUND ONLYってなんだよ」と思う側の気持ちも正直少しわかります。(回線の問題やご家族の関係といった止むを得ない場合は当然除きます)
そして1)の背景合成についてはZOOMも頑張ってはいるものの、照明位置との関係で姿がボヤけて映ってしまったり、身体の一部が切れて映ってしまったりが発生するため、そのうち何となくやめてしまうようになります。無意識に、目や気持ちに優しくないから、と自主規制をしてしまうのだと思います。
そんなわけで、最初は1)2)派だった人たちも、初対面や滅多に顔を合わせない人たちとの会議を除き、開始後3週間目ぐらいからは大体3)の「設定なし」に移行していきます。
結果として、全員平等に生活空間の映像がオンになる、という新しい地獄で僕たちは生きていくことになり、それこそまさにシン・格差社会ともいうべき、「リモート格差」を可視化した世界の登場となるのです。
そしてこの世界に生きる僕たちは、「持つ者」と「持たざる者」とに分けられた
ここでようやく本題突入なのですが、一緒に仕事している人の日常生活を見る機会なんて、普通有り得ないことでした。もちろん、ホームパーティーでお家にお邪魔して、みたいなのはあったと思いますよ。でもそれって、そもそも開催可能な家に限定される点、休日開催となる点含め、「非日常」じゃないですか。平日の昼間という、一番無防備な状況(=日常)とは全く異なります。
それなのに現在、お互いが一番無防備な空間を晒し合いながら仕事をしている訳です。ZOOMに映る家(部屋)の範囲なんてもちろんごく一部ですが、豊かな家に暮らしているかどうか、リモートワーク環境下で充実した仕事生活を過ごせる「リモート貴族」かどうかなんて、その一部を見れば十分判断可能な訳です。
もちろん以下のような「生活インフラ」の格差については、家の豊かさの問題ではなく、これまでの生活スタイルの意識差によって生じたものかもしれません。
①Wi-Fi環境:ポケットWi-Fiやテザリングに頼る勢/光回線で安定・使い放題勢
②ディスプレイ環境:会社貸与のノートパソコンonly勢/いい感じの大画面持ってる勢
③椅子環境:長時間座ってると腰を痛める椅子しかない勢/ちゃんと選んでいい感じの椅子を購入していた勢
④机環境:低いテーブルしか持ってない勢/ある程度きちんとした作業机を持っている勢
⑤良いコーヒー環境:コンビニコーヒーひたすら勢/なんかいい感じのマグカップが常に携えられてる勢
これらについては、普通の人が日常生活を快適にしようとした結果、気づいたら上手く整えられていたというケースも有り得ます。ただし、貴族の家ならば、当たり前のように全てが備えられているものでもあります。
そして住環境差やカメラ位置の工夫ではどうにも埋められない、貴族とそれ以外の絶対的な暮らしレベルの差として、以下の6つの要素が可視化されてしまうのです。
1.家の広さ=背景の奥行き
貴族と非貴族との差は、まずここで浮き彫りになってしまいます。だって自分のような非貴族の部屋でwebカメラを写した場合、明らかに壁が近い。壁が迫ってる。
狭い1Rや1Kは長方形の長辺側に机をつけて生活するしかないので、悲しいほど壁が近いんです。
でも貴族の家をwebカメラが写すと、明らかに背景に奥行きが出てくる。
いい感じのリビングの場合はもちろん、平米的には1R等と変わらない個室部屋であっても、普通正方形に近い一角に机が置かれるため、やっぱり背景に奥行きが出てきます。
だからもう正直ここだけで全てがわかってしまうというか、奥行きの差が富の差を表現しているといっていいと思うんですよね。
あと全然関係ないんですが、なぜか貴族の家の壁の時計は文字盤がないタイプが多い気がします。貴族は文字盤がなくても大丈夫という事でしょうか。
2.部屋の明るさ(自然光の多さ)
自然光がどれだけ入り込んでいるかの差です。間取りや階数、周辺の建物の関係はあるにしても、貴族の家はとにかく日中明るい。部屋の電気不要。
日光をたくさん浴びることは精神的にも良い効果を及ぼすので、気持ちの面ですら埋められない差をつられてしまうのです。
3.ベランダの広さ
「ちょっと天気が良いので、ベランダから失礼します」とかになってる時ありますが、待て待て、なんでベランダで作業できるの? 何それ? そのベランダ、俺の部屋より広くない??
4.抜け感のあるおうちコーデ
「外出しないと服がつい・・・」と言いますが、待て待て、それ俺の外出着より高くない??
5.朝、走ってきた
「在宅が続いて運動不足になってるから、ちょっと近くを走ってきた。桜とか咲いてた」と言いますが、待て待て、桜並木の「近く」って何? ウチの近所、国道246号だよ?
6.踊る家族たち
小さな子どもが保育園や学校に行けないので仕方ないのですが、部屋で踊ったりWii的なものをやったりする可愛い子どもや可愛い嫁(旦那)の動画、何なの。何なの、それ。幸福を可視化すると、そういう動きになるの??
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などなど、これら全てを完璧に満たした存在は、このwithコロナ時代におけるブルジョアであり、もはやリモート貴族と呼ぶしかない存在です。
実際のお金以上に精神的な豊かさというか、外出自粛・強制在宅という地獄の中にあって、「ピンチをチャンス!」と言えるだけの十分な幸福資産が手元にあるのです。
リモート貴族という、かつてないほど身近な格差階級の誕生
残念ながら、どんな環境下においてもそこに複数の人間が存在する以上、階級や格差は生まれてしまいます。しかし今回のケースでは、いわゆる「上級国民」と「下級国民」のような明らかな格差構造ではなく、これまで比較的「中間層」と呼ばれ同じ括りにされていたような、ごく近い層での格差構造を生んでしまう予感しかありません。
だってみんな、同じ会社で同じ職場の近くの席に座っていたはずなのに、日常の生活格差がこんなにあるんだぜ??
まさにリモートワークが生んだ(可視化した)新しい格差、「リモート格差」がコロナによって爆誕したと言えるでしょう。
快適な在宅勤務が可能な貴族(プチセレブ)勢とそうではない勢の間に、分断&対立が起こっても仕方ない時代に、半ば強制的に突入させられてしまったのです。
しかも何があれって給与レンジは一応想像がつくだけに、もう妬みや嫉みとかでなく、羨ましさとか憧れとかしかありません。待って待って、どうすればそんな生活できるの??
憧れは、理解から最も遠い感情だよ
『BLEACH』の藍染隊長の言葉です。
いやでもね、もう理解とか一切できなくていいので、自分もリモート貴族になりたい。ただただ、ただもう本当にそれだけなのです。
もちろん、貴族には貴族の人生の地獄があるんですけどね。