どぶ川の橋の下
家の近くには小さなどぶ川が流れていた。
川幅は2メートル程。大人が見たら濁った水が流れている汚い川にしか見えないだろう。
でもぼくの目にはまったく違った景色が見えていたんだ。
黒い水の中には空き缶が落ちていたり水草が遠い世界から流れてきたりしていた。そして同じ色をした魚も。そいつらの名前はフナ。
金魚は店で買う魚。フナはこのどぶ川の住人。同じ魚なんだけどまったく別の生き物のようだった。
金魚より大きいフナをぼくは捕まえたくて虫取り網を持ってどぶ川に走る。いつもの光景。
どぶ川にかかるコンクリート製の簡素な橋。そのすぐそばからどぶ川にもっと近づくことができた。
落ちないように網を持った手をどぶ川に向ける。黒い影がぼくの獲物さ。
相手の動きそうな方へ網を突っ込む。網が川底をこすってガリガリという音と衝撃が伝わってきた。
くそっ!ダメか!
そんな有り様だったから収穫はほとんどなかった。でも楽しかった。
ある日決意したんだ。川の中に入ってやろうって。
網じゃなくて自分の手で捕まえてやろう!
素足になってどぶ川に足を入れる。水の冷たさが伝わってくると同時に感動に近い感覚を覚えたんだ。
自分の知らないどこか遠くから流れてきた水が今ここにある。そしてこの水はまた自分の知らないどこか遠くへ流れていくんだ。
この大自然の水の流れの中に自分がいるということ。なんだかすごいぞって。
そんなことを考えるとフナを捕まえるなんてことはどうでもよくなってきた。
ふと前を向くと、目の前には大きな闇が広がっていた。今はまだ昼間なのに目の前には闇がある!
なんとも言えない恐怖。おなじくらいの好奇心。
行くっきゃない!
ぼくは素足で川底の石を踏みしめ、一歩一歩コンクリートの橋の下へ入って行った。
外の世界はあんなに日が差し込んで明るいのに橋の下は闇。そして周りの空気もひんやりしていた。心地良いものじゃなくて恐ろしい冷たさ。
うわっ!
何かがぼくの額に触れた。細くていやらしい感覚。
蜘蛛の巣だ
太陽の下で見る蜘蛛でさえ恐ろしいのに、この闇の中で蜘蛛に出会ってしまうなんて。なんでこんな場所に来てしまったんだろう。後悔した。
でも自分は橋の下にいるのだ。引き返すにも前に進むにもこの闇を進まなければならない。
ぼくは前に進むと決意した。一歩一歩恐怖と闘いながら前に進んだ。
次第に目が闇に慣れてきたのか、自分の周りの景色が少しだけ見えてきた。
別世界だ。
川の上から見下ろした世界とはまったく違う世界が広がっていた。ここは昼間でも日が届かない闇の世界なんだ。岩にはぬるぬるとした苔がへばりつき足に触れるたびに転びそうになる。
頭にはコンクリートが迫っていたので頭をかがめないといけない。
フナはぼくが毎日見ている明るいどぶ川と、この闇のどぶ川を自由に行き来していたんだ。なんかフナがすごいと思えてきた。
そんなことを思っているうちに目の前に出口が現れた。空からあたたかな日の光が降り注いでいる。
おかえり。
そんなことを言われているようだった。ぼくは歩みを早めて一気に闇から飛び出した。
なつかしい感じ。上を見上げるといつもの道路があり、いつもの工場があった。でもぼくはアリのように小さくなっていつも見ているものを見上げている。まったく別物だ。
たった数メートルの闇の冒険が終わった。
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