morirei
ぼくが今まで見てきたもの、今見ているもの、これから見るものを書いていきます。
人と話すと自分がわかるぼくはここ数年間カウンセリングを受けている。 2014年からだからもう6年も経つんだな。 実はこの3月で6年間一緒にいろいろと考えてきてくれたカウンセラーの方が交代になってしまって、新しいカウンセラーの方になった。 前のカウンセラーの方はぼくよりも年上で、いろいろと人生相談みたいな話もよくしたんだけど、今回のカウンセラーの方はぼくよりも年下。たぶん妹くらいの年齢か、もうちょっと若いかも。 これまでと違ってなんか変な感じだけど、そのうち慣れるだろう。
夜に仕事をすることが多いので帰宅するのは深夜。 今夜も同じように家に着いた。秋も進んでいくと深夜はかなり冷え込んでくる。 この肌を刺激する冷たい空気。ふと空を見上げたらオリオン座が南の空に輝いていた。 その瞬間、ぼくの心は30年前にタイムスリップしたようだ。 まだ小さな子どもだった頃、ぼくを夢中にさせたものは宇宙だった。 もともと暗いところが好きなぼくは夜の闇が大好きで、日が暮れるとずっと夜中まで外に出て真っ黒な空を見上げていた。 そこには無数の小さな光が。そう、
東京の恵比寿にある東京写真美術館に行ってきた。 ぼくは写真が好きなので、どんな美しい写真が展示されているのかワクワクして中へ入って行ったのだ。 ところが中で待っていたのは想像とは全く別物の写真たち。 今、インスタでもてはやされているキレイな写真ではない。 むしろ、一体これのどこがいい写真なのか? と首を傾げてしまうものばかりだったのだ。 ・被写体が動いてブレている写真 ・撮影者が動いてブレている写真 ・いいかんじに歳を重ねた人の顔写真 ・雨粒がぎっしりついた窓 ・
毎日いつも同じことをしていると退屈でなんの彩りもない毎日になってしまう。 そんな時には少しだけでも違うことをしてるのがおすすめ。 少しのことなんだけど、やってみると思った以上にわくわくしたり、新鮮な気分になるのだ。 やることはなんでもいい。 ・いつもと違うものを食べる ・いつもと違う道を歩く ・スマホを触る時間に読書してみる ・一日だけのアルバイトをしてみる そういう少しの変化が、だんだんと大きな波のようになって人生を変えていく。かも知れないね。
いつもとは全く違う自分になってみるのは、とても新鮮でエキサイティングなこと。 ぼくは男のして生まれて、これまでもずっと男として生きてきた。 他の男がやるような振る舞い。それは毎日毎日あたりまえのことだ。 それについて何の疑問もないし、そんな当たり前のことは空気のようなものだから気にすることだってもちろんない。 でも今日はちょっと違った。ほんの数時間だけど女の子というものを演じてみたのだ。 ぼくは自分の想像力を限界まで働かせて女の子になってみたが、端から見るととにかく
ここ一週間ほど酷い便秘に悩まされている。 どう頑張ってみたところで全くお通じが良くならないのだ。 もう無理して出すことは諦めて、静観してみることにした。 ぼくのお腹がご機嫌なのはどうやら朝のようだ。 それも朝食のすぐ後。 ごはんを食べるとお腹の中がぎゅるるるーといって動き出す。 まあ、それで終わってしまうのだが…… 毎朝このお腹をエンジンがかかる度に淡い期待をしてしまう自分。 その日一日がいい日になるかを占っているようで、悪くはないな。
ぼくの最近の関心事といえば便秘である。 関心事といえばなんか他人事のように聞こえるが、そんな事はなくて完全に自分自身の大問題なのだ。 もうかれこれ1週間ほど経つ。 食べたものが出ていかず、お腹の中に溜まったままになっているなんて本当に気持ち悪いのだ。 1週間前の食べ物が、今おなかの中でどうなっているのか想像するだけでも気を失いそうになる。 色々と試した。 ・冷たい牛乳を一気飲み ・普段より多めの水分補給 ・食物繊維の多い食べ物を食べる(寒天、野菜、バナナなど) ・
ここ数日いろいろとストレスになることがあって精神的に少し病んでる。 最初の頃は胃が痛くなったり、頭痛がしたりと痛みを伴う苦しさがあったが次のステージへと進んだようだ。 今は痛みこそなくなったが、お腹の調子がすこぶる悪い。 もう1週間ちかくほとんどトイレに行かなくなってしまった。 食べたものはどこへ行ってしまったのだろうと思うくらい何も出てこない。 日増しに身体の中が重たくなっていくのがわかる。 常にお腹は張った感じがするし、身体の中から毒素で冒されていってるのがわ
ぼくには持病がある。 服薬や通院で日常生活が制限されることはよくあって、ちょっと不便だなと感じていた。 でも、もっと大きなスケールで人生について考えると健康でないことはとんでもなく大きな足枷になっていたのだ。 世の中には健康でないとできないこと、認められないことが存在する。 自分がどんなに切望しても叶えられないものなのだ。 経済的な制約とは大きく異なる。 ちょっと乱暴な言い方かも知れないが、お金は稼げばいいのだ。 死ぬ気で頑張ればなんとかなる可能性がある。 で
今日はひさしぶりに会う友人とお喋り。 彼は濃密な深い話ができる数少ない友人だ。 色々と話をする中で幸せについての話題になった。 「あなたにとっての幸せは?」というシンプルな質問こそ、人生においてとても大事なことなんじゃないかって話になったんだ。 ぼくは無意識にこう答えた。 「しょうもないことだけど幸せを感じる些細なことはある」 彼はぼくの言葉に敏感に反応したのだ。 「しょうもないの基準は?」 彼の質問にドキッとした。 この基準こそ「一般的に考えてとりとめもな
このnoteはカンボジアへ向かう道中に書いてる。 ぼくの住む関西からはカンボジアへの直行便はないので、どこかの国で乗り継ぎをしなければならない。 中国だったり、韓国だったり、マレーシアやタイのことも。 乗り継ぎはいつも数時間程度だ。 空港の中で数時間過ごす程度なんだが、やはりお腹が空いたり喉が乾く。 そうなると空港にあるフードコートやレストランを利用する訳だが、以前は本当に面倒だった。 なんせ現金が主流だったので、ちょっとした食べ物を買うためだけに現地通貨を用意し
ぼくはあまり身体が強くないのでよく風邪をひく。 風邪をひいても風邪薬に頼るのは好きじゃないので、栄養のあるものを食べて、水分とってよく眠る。 ある程度はよくなるんだが、どうしても治らない風邪にかかることもあるんだ。 そんな時には天下一品のこってりラーメン。 関西ではおなじみのラーメンで、どろどろの超濃厚スープが有名。 普段はラーメンの汁は残すんだけど、天下一品のスープは全部飲み干すのだ。 中にはたっぷりのニンニクが入ってるのできっと風邪も治るだろう。そんなおまじな
知り合いの話。 一度も行ったことのない国。その国にいきなり永住したいという発想は本当にぼくには理解しがたい。 その国の文化 その国の言葉 その国の制度 なにも知らないのに、なんとなくのイメージでその国に永住するというのはかなり無謀ではないか? まずは旅行なりして現実を見るのが先だと重う。 もちろんぼくを頼ってのことだとは思うんだけど、あまりにも場当たり的ではなかろうか。 ぼくも大概場当たり的に生きてきたが、そんなぼくでもびっくりするほどの発想だ。 易々とこの提案
これまでの自分を変えようと思うなら、ただがむしゃらに頑張るのも良いんじゃないかと思う。 計画的、効率的に何かをやろうとするのも良いんだけど、そんな打算的なことを考えてちゃ自分の殻は破れない。 全身の力を思い切り振り絞って頑張ってみる。 今までの自分をぶっ壊してしまうくらいのエネルギーを出すんだ。 その先に新しい自分ってのが生まれてくるんじゃないか?
ぼくは物事を極端に考えてしまうクセがある。 両極端なのだ。 なにかミスを犯したら自分の全てを全否定しまう。 何かをやるかやらないかの選択では、全くやらないか全てやるかの二択になる。 二択しかないなど、世の中の物事はそんな単純な話ではない。 白と黒の間には無数のグレーがあるし、ゼロと百の間には無数の数があるのだ。 何かミスをしたとしても、自分のすべてがゼロになるわれではない。 自分のたくさんある人格のごく一部が10か20になっただけの話なのだ。 そう考えれば気持
自分は鈍感だ。 自分は敏感だ。 こう2つに分類できるほど人間ってものは単純じゃない。 みんな鈍感であり敏感なのだ。 つまり、ある事柄に対しては鈍感で、ある別の事柄には敏感なのである。 どの事柄に対してどの程度敏感なのかは人それぞれ。 人は無数の事柄に対して様々な感度を持っているのだ。 だから一言であの人は鈍感、敏感などとは表現できないのである。 ぼくの場合には自分に向けられる物事に対しては極めて敏感。一方、その他の事に対してはとても鈍感だ。 今まで自分は精神