きれいな写真に感動してたボクは何も考えていなかった
東京の恵比寿にある東京写真美術館に行ってきた。
ぼくは写真が好きなので、どんな美しい写真が展示されているのかワクワクして中へ入って行ったのだ。
ところが中で待っていたのは想像とは全く別物の写真たち。
今、インスタでもてはやされているキレイな写真ではない。
むしろ、一体これのどこがいい写真なのか?
と首を傾げてしまうものばかりだったのだ。
・被写体が動いてブレている写真
・撮影者が動いてブレている写真
・いいかんじに歳を重ねた人の顔写真
・雨粒がぎっしりついた窓
・ほとんど何も見えない真っ暗な洞窟の写真
・写真の上から油絵の具で一部を塗りつぶした写真
いくつかの展示会を回ったので、写真の他にも映像作品も色々見られた。
それらの映像作品もとても奇妙なものばかりで、今のご時世もてはやされているような映像とはまったく違うのだ。
いくつか印象に残ったものを挙げてみる。
・テレビ放送が映し出されたテレビ画面にペンで線や×、○などを描いている映像
・女性が屈強な男性相手にボクシングをしてる映像
・本格的な武器を使い、いろんなものを破壊する戦争ゲームを楽しむ女性のマスクをかぶった人たちの映像
これらの写真、映像を見てもぼくには何もわからなかった。逆にこれの何が良いのかもさっぱりわからなかったのだ。
でも、これらの理解しがたい作品を観ているうちに自分自身にこんな問いかけをしていることに気づいたんだ。
キレイな写真は直感的に見ていて気持ちいい。ただそれだけしか写真から感じとっていないんじゃないか?
写真の奥底に秘められたら作者の想いなどこれっぽっちも感じ取ろうとせず、ただ単に表面だけキレイな写真を見て喜んでいる。
なんと自分は愚かだったんだ!
猛烈な自己嫌悪が襲ってきた。
ここに展示されている作品はどれもキレイではないし、ぱっと見て感動するようなものではない。
しかし、この作品の奥にはものすごいものが秘められてはいるように感じたのだ。
それを探し出すのは自分自身。
作者は観る者に問うていたのだ。
これまでキレイな写真を撮れればいいと思ってカメラを持ち歩いていたが、その考えを改めようと思った。
ただ快感をもたらす写真でなくて、自分の想いを表現する写真を撮ろうと。
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