
絵描き・北林みなみさんの魅力について語りたい
おざきです。
先日、いま大阪で行われている北林みなみさんの個展 『小箱のはなし / THERE IS A SMALL BOX IN YOUR HANDS』に行ってきました。
北林みなみさんは4,5年くらい前にSNSで作品をたまたまみかけてからその作品の世界観に引き込まれ、以来個展が開かれると実際に行ったりするくらいには好きでいさせてもらっている絵描きさんです。
ちなみにぼくは絵画に関する素養もなければバックグラウンドもない全くのド素人です。
そんなぼくでも惹きつけられる北林さんの魅力ってなんなんだろう、この魅力をみんなにも知ってもらいたい、と思ってこの記事を書くことにしました。
よかったら最後まで読んでください。
北林みなみさんについて
北林さんのプロフィールについては↓をみてください。
幼少期は海外で過ごされていて、そこで感じた孤独感や疎外感を作品でも表現されているとのこと。
後述しますが北林さんの作品から感じる「孤独感」や「ちょっとさみしい感じ」は北林さんの作品の魅力を構成する重要な要素になっているように感じます。
作品の世界観
どんな作品なのか、まずは一つみていただきましょう。
まずはこちらの「ふたり」という作品。
南国的な雰囲気の植物が作品いっぱいに柔らかい色使いで描かれていて、絵本のような雰囲気もあり一見明るい印象を受けます。
しかしよく見てみると中央には手をつないだ服を纏っていないふたりの人間のすがたがあります。
絵全体には鮮やかな植物が描かれているのに対して真ん中に裸の二人がぽつんと描かれていることで、急にこの絵が少しさみしく、孤独なもののように思えてきます。
ただ、さらにこの二人をよくみてみると、どこか力強く、なにかに向かってずんずんと歩いているようにも見えます。
大自然のなかのちっぽけな二人だけど、その二人の間には第三者からは見えない大きな世界が広がっているのではないか。この絵自体は少しさみしく見えるけど、描かれているこの二人はそんなこと意にも介せず自分たちの信じるなにかに従って力強く進んでいる、ぼくはそんなような印象をこの絵からは受けます。
「世界の美しさ」と「人間の孤独」と「孤独の中にある豊かさ」
つづいてこちらの「forest」という作品。
美しい森の中にある池のほとりにぽつんと佇む一人の人間という構図でこちらの作品も色使いから感じられる明るさやタッチの柔らかさと、描かれている人間の「ちょっと寂しい感じ」が先ほどの作品と共通しています。
ここで描かれている人間自体はどうでしょうか。池の水面に写る自分を見つめながらなにか悩んでいるという様子よりかは、視線の先にある遠くを見つめながら別のことを考えている。それもしっかりとした眼差しでポジティブな表情をしているように感じられます。
この「美しい大自然の中でぽつんと佇んでいるシチュエーションとしての孤独さ」と「描かれている人間の内側に広がっている豊かさ」が北林さんの作品では共通しているもののように感じます。
どうでしょうか。少しずつ北林さんの作品がもつ世界観に引き込まれてきませんか。
世界は広くて、自分はちっぽけで、この吹けば飛ぶ体の内側にも、終わりのない荒野がある pic.twitter.com/3Bv7vR7Lm5
— minami kitabayashi (@hkrn1116) October 20, 2023
豊かさとはなにか
今まで見てきたように、北林さんの作品からは「孤独だとしても、なにも持ち物がなかったとしても、あなたの内側に豊かさや大切なものがあればそれでいい」というようなメッセージ、あるいは、「わたしはこう思っています」という意見表明みたいなものを感じます。
ここで今回の個展会場にも掲げられていた北林さんの詩をご紹介しましょう。
“ わたしは、小さな箱を抱えていた。
それは、手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさで、どこへでも持ち運ぶことができた。
大切なものを仕舞うために、それをずっと持っていた。
この広大な世界で、小箱の中だけは安全だった。
人々や、景色や、社会が変わっても、その箱だけは変わらずにそこにあった。
大切に抱えていれば、誰もそれを奪うことはできない。
この箱さえあれば、どこへ行っても、何をしていても大丈夫だった。
わたしの小箱には、宝石のような美しさを持つものは、ひとつも入っていない。
何かの破片や、役に立たなさそうなものばかりを拾い集め、仕舞った。
箱に並んだそれらは、わたしの輪郭をぼんやりと照らし続けた。
この小さな箱を抱えて離さず、最後まで守りきることさえできれば、それで良いと思った。
それだけが大切なことのように思えた。
小箱のはなしをしよう。“
この詩は北林さんの描く作品を言葉で補完するようなものに感じます。
「たとえ他のひとから見て価値のあるものじゃなくても、あなたが大切だと思うなにかさえあればそれだけで心豊かに生きていける。それは誰にも奪われないし、あなたをあなたたらしめる要素の一つひとつです」と言われているような気がします。
たとえばぼくの場合、川沿いを自転車に乗って走ってる瞬間とか、初めて行く街の商店街や市場を歩いているときとか、自作のスムージーを作ってみたら美味しかったときとか、人からみたらどうでもいいことのように思える一つひとつが意外と自分の人生の豊かさを構成している重要な要素だったりするな、と気付かされたりするのです。
そこには「ロレックスの時計」とか「新車のレクサス」とか「都内のタワマン」みたいな「社会みんなで合意が取れている価値のあるもの」とは全く別軸の「自分がどう思うか」のみで構成されている豊かさがあるわけです。
北林さんの作品からは「そういうものだけ集めていけば大丈夫なんだよ、そうやって世界と関わっていけばいいんだよ」というようなことを教えてもらっている気がして、日々自分の羅針盤を見失って右往左往していまう自分は胸がジーンとなったりするのです。
ケトル壊れたし、冷蔵庫空っぽで生活は終わってるけど、久々に1人で良い雑草を探してたら自分を取り戻せてきた。
— minami kitabayashi (@hkrn1116) March 21, 2023
最近、ずっと絵を描いたり考えたりする時間が長かったけど、そのへんの木とか雑草をひとりでただ見てる時間が1番自分らしい状態でいられる感じがする。 pic.twitter.com/drrVyoPgc1
アーティストってすごい
絵だけに限らず、音楽や文学などアートのすごさって、作品を通してアーティストのメッセージや意見を表明することで、見た人の哲学や生き方を変えられる可能性を秘めているところだと思うのです。
技術革新や国際情勢の面で、ものすごいスピードで変化がおき続けている今の世の中ですが、アーティストはその中でも「ちょっと待って、うちらってそもそも何のために生きてるわけ?うちらにとっての幸福ってなに?」みたいな全人類にとって普遍的で超重要で、でもほとんどの人が日々見て見ぬふりをしているようなビッグクエスチョンに対して真摯に向き合って、苦しみながらも自分なりの答えを見つけてそれを体現するために生きている、哲学者みたいな人たちだなと思います。
絵を描く行為自体に自分本位の身勝手な願いや思い、よろこびがたくさん詰まっていて、日々淀んだり澄んだりしているこの役立たずの気持ちを辿る行為を、遠回りになったとしても一生手放すことはないと思う。 pic.twitter.com/MxHVcZy9H7
— minami kitabayashi (@hkrn1116) August 31, 2022
(もちろん会社員や起業家や公務員の中にも自分が信じる哲学のもと日々自分の役割を全うしている人たちがたくさんいます。そんな人達もぼくは心から尊敬しています)
おわりに
このnoteを通じてすこしでも北林さんの作品の魅力が伝えられたら嬉しいです。
ぼく自身もこれから自分の豊かさを広げる旅をこれからも続けていきたいです。
こんどラジオでも話す機会があったら話したいですね。
ではまた。