春と鰻
若い頃、春は苦手だった。理由は分からなかったが、陽射しを避けるように路地裏を歩いた。たぶん、あまりに眩くて悶々とした自分には、なにかそぐわない気がした。あの頃、自分が嫌いで仕方がなかった事は確か。
4月、北国の空。
まだ少しひんやりとした空気。
視界はくっきり。
狭かった道は今、広々として「街は生きている、呼吸すら」なんて思う。
あまり出番のない踏切も華やいで見える。
一直線の八幡通りの先に紅い鳥居。その向こうに鎮座する盛岡八幡宮は変わらない。
その日、組織で活躍する人たちと会った。部署も変わり、また一つ引き締まった顔に見えた。自分は組織から離れ、色々な事に携わってきた。
時が流れ、また一つ、区切りの時?
どうこうという事はないが、自分の中で何かが変わりそうだ。
あちこち歩き回って日が暮れた。もう午後6時半を過ぎた。和風料理「かわ広」の近くを通り、足が止まる。
今日の財布の中身では覚悟がいる。まあ何とか食べられそうだ。
昨年に来たかな、いやいや一昨年?
入ると店の方が、「カウンターにしますか、小上がりでもいいですよ」と言う。珍しく靴を脱いだ。
今夜は、自分へのご褒美としよう。鰻重の上に決めた。
学生時代、春休みのアルバイト代や奨学金が出ると、友達と新宿に繰り出した。本屋を回り、それぞれ時間をかけて数冊買い込む。あの頃、喫茶店と本屋はなくてはならない場所。沢山の本を抱えて2人で鰻を食べに行った。
もう忘れたが、付け焼刃の鰻のうんちくを言い合った。30数年も音信不通だったその友達と昨年の夏、ひょんな事から繋がり、手紙のやりとりが始まった。それからは、一文ごとに時間の隙間が埋まる。今では、なんだかずっと繋がっていたような気がする。
「お待たせいたしました」
焼き上がった。
待っていた十数分が、あっという間。時間の速度は不思議だ。
落ち着いた感じの蓋を開けると焼き上がった鰻の匂い。たっぷり吸い込んだ。本当に匂いだけで、ご飯を一杯いけるかもしれない。
艶々の鰻に食欲全開!
箸でいとも簡単に皮まで千切れる鰻が口の中で消えていく。ちょっと追いタレ。甘くとろりとしたタイプではなく、きりっとした感じだ。これが脂ののった柔らかい鰻に合う。
ご飯がすすみ過ぎる。
十分ほどで完食。幸せな時間の早いこと。
お茶を飲みながら、ふんわりと思う。これからは一日一日、いや、その時々をゆっくり楽しんで暮らしたい。
美味しかったと、店を出ようとした。「これ、ひょっとして全て、うなぎですか?」と聞くと、「そうなんですよ」と返ってきた。こんなに鰻の漢字があるとは知らなかった。昔だったら、間違いなくうんちくの材料になっていただろう。
帰ったら今夜は友達に手紙を書く事にしよう。贅沢して鰻を食べ、昔を思い出した。ただ、あの頃の様に春は嫌いじゃないなどと、また長い手紙になりそうだ。
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