高橋淑人展 東京造形大学附属マンズー美術館/白井晟一の建築
★Facebookのポスト(2021年10月26日)の転載 ✳文章の一部を修正。
数年前まで在職していた東京造形大学の附属マンズー美術館(東京都八王子市。イタリアの彫刻家ジャコモ・マンズーのコレクションがあります)へ、かつての同僚教員で画家の高橋淑人の個展を見に行ってきました。
この10年ほどの、色の飛沫を重ねる作品の展示です。「飛沫」とは言っても、ポロック的な重力ドリップではない。遠目には、跳ねや引摺りの軌跡を短く抑えたドロップレットの、点描のようなカラーフィールドが十数点。しかして、3歩寄れば、窯変陶器の肌のような「肉の盛り」を部分的に孕む積層テクスチャが、内へ内へ光と色を巻き込む。だから、ラメを撒いているわけでもないのに、至近では「表面深度」の容変を楽しむ首の振りを誘います。これ、写真には写らない。生きられた視線をもたないカメラが、もっとも苦手とする絵かもしれない。
とはいえそれは、視覚の触覚性などという手垢にまみれた安易なオクシモロン、落としどころのない教育的な寓意とは全く無関係で、しごく単純に吐いてしまえば、絵の構えを眺めて、前後に動いて、止まって凝視する、この当たり前の所作がたいそう気持ちいいのです。粒状の色彩のキネティックス、離散と凝集の仮現に身を託せば、誰もが理屈抜きに目利きになれる絵 ... つまりそのような情動(affect: 根拠も指向ももたない感情)が見る者の意識のスクリーンに現像するよう、色の肌理が合理的に作り込まれているということ。意識の潜像を「呼び醒ます」デベロッパー、アナログ写真の現像液のような役割りをする絵 … 高橋のケースでは -- すべての作品ではないけれど -- 最初に目撃するフィールド全体(キャンバスではなく)を基底に、区界の淵が物理的には定義不能なゾーンがすぐさま見て取れる。他者と共有できないこの知覚的事実こそが、「現像」の証左に。
展示室の一角で閲覧に供されたかつての図録の一文によると、その寄稿者光山清子によるインタビューで高橋はこれを「絶対音感」と呼び、光山はそれを「絶対視感」と転写し強意しています。
... 墨絵ややきものに影響を受けた。特にやきものの表面とその存在感や物質感というものは、ヴィジュアルに感じるだけではなく、体で感じるようなもの。また、墨絵とは、例えば牡丹というものを比喩として、そこに精神性をストレートに託していき、それ以外のものはない。これは西欧的空間をもつ絵とは異なる。[ … ] いわゆる絶対音感がそこでできてしまったと思う。[…] 創る人間としての表現の捉え方や託し方はそこにあると思う。[…] いわゆる現代美術と呼ばれているものも、何千年の美術の流れの中で見たい。その中に絶対音感というものがあると信じたい。僕がもつ絶対音感は東洋的絶対音感の部分だと思う。アフリカにはアフリカで生まれた絶対音感があり、西欧に生まれたら西欧に生まれた絶対音感があると思う ...
--- 光山によるインタビュー 2001年4月20日
絶対音感は特定個人の生得的なプロパティ、持ち物ですが、あらためて確認するまでもなくモダニズム以降の絵画の役割は、普遍的な感覚資産としてこのアルカイックな絶対視感を、平面とその挙動を記述する批評言語にむけて発明し直すことではなかったか。一方、高橋作品の工芸的巧緻さえ感じさせる肌理の直感には、ラスキンやモリスの声高な社会=工芸的啓蒙とも柳イズムのそれとも袖を分かつ、骨董屋の親爺の寡黙な慧眼とこそ接点があるようにも思えるのです。それは、伝統回帰とか尚古趣味とか西欧的価値の受容への反撥といったものに一口で還元できる態度ではよもやなくて、東西のあわいでネゴシエートされた日本的ポスト・モダンの回答であるし、80年代日本のニューペインティングの気質でもあったはずです。
知名度はさほどではないですが、これ、松濤美術館(東京都渋谷区)とノアビル(東京都港区麻布台)とで三幅対にできる建築です。そう、青銅のタワーが低く端折られたノアビル。いま松濤で資料展が開かれている白井晟一の設計です(来週見に行こうかなと...)。
内部はハードエッジのモダン・キューブではない。テクスチャとディテールの処理である種の神話性を纏わせた4つの「房」が、階段数段ぶんの高低差で繋がれ配置されています。登り降りで展示室を巡る ... 他には、わたしの経験した範囲ではハンス・ホライン設計の独メンヒェングラートバッハ、アプタイベルグ美術館(丘陵の斜面に展開する)くらいしか。
白井といえば、バロック教会の入口を思わせる件の縦長の開口部。そのひとつを、ついぞ開かれることのない外部への扉として、展示室内に見ることができます。普段は閉ざされたこの扉をもし開け放てば、立地する八王子の丘陵の雑木林へ展示室からいきなり足を踏み入れることができます。建築の構造的軸線の両端にスリット状の戸口を設け、エントランスと対峙する開かずの扉が、「森への追い立て」というアーサー王伝説にも通じる神話素を担って、展示室の壁に偽装されてあるということです。私には、個人の観照と主知主義がせめぐ空間としての美術館とその制度(観て知るためのさまざまな設え)からの脱出口にも思える。ピーター・アイゼンマン設計の、ベルリン「ホロコースト記念碑」の地下に位置する「情報センター」の展示室には、そこで見聞きするものの圧力によって耐えられないほどの負の感情切迫や畏怖を覚えた観客のために、明り取りを兼ねて、いつでも自由に開いて地上に脱出できる扉があります。建築の倫理学的な管理機能であり、死によってしかあがなわれないガス室からの脱出に通底する負の象徴でもある。ヤスパースに学んだという白井の経歴を想えば、あのスリットもまた、そうした20世紀的逃避の預象 type ではないでしょうか。一見その閉塞性が気になる白井の空間を内部から押し開くのは、解釈学的にはそうしたタイポロジカルな神話学であり、あるいは高橋の絶対視感にも通じる新物質主義の形而上学なのです。
そして、この美術館には10年間の在職中何度も入ったけれど、いつも黒い森や北方フィヨルドの土地に沈潜する「心地よい陰気」を感じました。それは、この疫病の時代のミアズマ、腐海の邪気とは別種の、あるいは正反対の静けさを保っています。理由の一つには、壁面と床の造作が、一般的な展示室にくらべて遥かに残響を少なく抑えているからという音響物理的な性質があります。モダニズム建築の硬質のマテリアル感と、その嫡子たるポストモダンの脱臼したアイコンのハシャギから遠いという白井建築の特質は、展示室のこのノン・エコーの経験(残響が少ないことで観照がより内面化する)についてもあてはまると思っています。それにしても、展示室の無=音の意味とその質的な多様性について、どうして美術史・建築史はこれまで言葉を用意して来なかったのでしょうか?
ちなみにキャンパス全体のグランドデザインは磯崎新。冷戦以降の「ゲート」(ブランデンブルク)にこだわっていた頃の作品であることが、入口の本棟の設えで分かる。
言ってみれば、新唯物論的な粒状色彩の絶対視感の感得とも名指し得る巧妙な道具の拝見(茶の湯!)を、白井の神話学的巣窟ですることになる今回の個展は、高橋の定年退職を言祝ぐという趣意を脇に置いたとしても、とにかく、並ぶ作品の居住いそのものが美しい展覧会なのです。壁があって、絵がそこにあって...というだけのこと。けれど、その場を去りがたいほどに芳しい「絵のある光景」となると、記憶のうちに数えるほどしか。
絵画は絵画表面のフォー厶を超えない(=絵は絵でしかない)というニヒリズムのうちに、しかし「一(いつ)ならざるもの」を探求するというのは、言うまでもなくモダン・ハードコアの内に設えられた機制。しかし、高橋の10年の絵画的所作の軌跡をこうして一望すると、俗にいう画業の trajectory: 軌跡、弾道、航跡とは、文や節や章の単位で事の因果を設計し綴るストーリーテリングとは違い、起点で決定した初速と角度が非宿命論的な思惟の放物線を描く様を言い、そして、人生の時々の刺激や着想という新たな関数と放物線との接点こそが作品であるという自明の理が再確認できます。このとき、高橋にとっては、その初速こそが視触覚的確信の絶対的強度であり、画業へのその移入角はismに還元されない東洋的ニヒルということになるのでしょう。とまれ、初速はまだ失われていません。
日本式には70年代後半の「絵画の復権」以降、グローバルには80年代ニューペインティングの世代。晩年のロラン・バルトとおなじくほとんど孤高の一徹で探求した平面の快楽。八王子、町田、相模原方面お出かけの機会あらばぜひどうぞ。11月27日まで。
✳ 美術館のみなら事前の入構許可願いは今のところ必要ないようです。隣接する図書館(美術、デザイン、工芸、建築、映像、美術史、芸術学関係の図書資料が開架で)も一般の入館・施設見学はできますが(都内の私立美術大学ではここだけ!貴重です)、念の為に事前の連絡をメールでとったほうがいいでしょう。学食もOk!
https://www.zokei.ac.jp/museum/about/