Reflection Journal 2019年7月26日 朝
昨日は、酸ヶ湯温泉を出て、奥入瀬渓谷を歩き、十和田湖をながめて、ランプの宿(青荷温泉)に宿泊した。ランプの宿は、夜はランプの光だけの宿で幻想的かと思ったら、意外に暗くて大変だった。部屋のランプに2度頭をぶつけた。夕食は近くに座った方と話をして、その方は午前中仕事をして、午後と明日は有給を取ってイワナ釣りに来ているようだった。今日もイワナを20匹釣れたようで、それを宿に差し入れしたら、お刺身と骨を揚げたおつまみを作って下さり、ご相伴にあずかった。その方は、真に自分の人生を楽しんでおられるようで、羨ましかった。
1.奥入瀬渓谷
想定以上に渓谷が綺麗であり、ゆっくりと2時間半ぐらい歩いてしまった。ここまで清流が綺麗だと、どの地点でもきれいな自然にうっとりできる。妻と一度は来たいなと思った。会社の皆とも来たいなと思った。自然とも対話できるような気がして、何かが宿っている木や石が分かるような気がする。自然から「裸足になって」と言われたので、休憩場所で裸足になった。本当は、裸足で歩きかたかった。
途中で、また大泣きした。自分の中にある、何かしらの痛みがまだ癒えていないようだ。
2.WEBミーティング
会社のメンバーと十和田湖畔でWEBミーティングをした。一人から、会社でも本当の自分を出すことを進めていった方がよいとアドバイスがあり、少し自分の話をしてみた。二人はしっかり受け取ってくれた。二人には感謝の念しかない。
今までは、少し擦れた感じで会社と距離を置いてきたが、少しじっくり向き合ってみたいと思う。自分の中では、自分の変容を優先してきたつもりであるが、周囲からしたら「隠してきた」「見えない」「閉ざしてきた」という感じだろう。
WEBミーティングの影響もあり、昨晩は色々悶々とした。そのあたりの悶々にも触れていく。
①まずは、客観的な分析から
悶々とするのは思考からで、この悶々がメンタルデモルを増強すると感じた。思いめぐらせるのをやめたいと思ったが、この思考は止められなかった。どのような思考かというと「自分に対する言い訳」だった。まだ強固な自己防衛的なエゴの存在に気づいた。「自分が正しくありたい」「自分は悪くない」という言い訳を考えていることに無駄な時間だと思いながら、止められない自分の存在があった。
しかし、経営者である以上、このような思考はどうしても存在するはずだ。僕は、サポートをもらえるメンバーに恵まれているが、他の社長はどのように対処しているのだろう。
②深いところにある絶望感
色々探求していくなかで、一番奥にあるのが疲労感・絶望感というものが出てきた。過去10年間、色々なことをやり続けた疲労感、やることに対しての徒労感みたいなものが意外と大きいことに気づく。身体を酷使してきた、身体の悲鳴のようにも聞こえる。経営的な視点・マネジャー的な視点・総務的な視点・人事的な視点、プラスお客様へのサービスの納品、新規ビジネスの開発、興味あることを進めることを並行して進めてきたことに疲れたのだろう。まずは、自分で良くやってきたというねぎらいの言葉が必要かもしれない。
魂が抜けている感じは、ここから湧いてきているかもしれない。しばらくは、身体の癒しが必要かもしれない。
③周囲に迷惑をかけたこと
自分の中の捉われが、社内のメンバーに悪い影響を与えていたことに気づく。自分の中で「勝手な言い訳」を作るから、それが真実だと思い込んでしまう。この点に関しては、素直にごめんなさいである。現実がなるようになるという受け入れというスタンスと、そうはいっても自分の課題を克服して危機を回避すべきだという両面があり、そのどちらを選択するのかちょっと判断しかねるという感じである。
④今後の方向性
会社のためを考えた視点(現段階では、自分の何かを削る視点)と、本当の自分に生きる視点が融合するポイントがありそうだがそれが見えない。書きながら、対話するしかないという結論がでた。それはそうだ。ここを避けてきた感じがあるので、まずはそこからスタートだろう。
まだまだ腑に落ちていない何かが沢山あるが、今回は妥協せずにそこに向き合って、丁寧に進めていきたい。