Reflection Journal 2019年6月5日 朝
あさ、山手線で移動した。先頭車両にのり、一番前で景色を眺めていた。最新型の山手線「E235系」は先頭の窓が大きく、視界も開けていた。いくつもの電車が織りなす動きに見とれていた。
1.夢日記
大手商社のラグビー部の夢であった。
自分たちは卒業メンバーではあったが、居残り後輩と一緒に合宿をしていた。大学同期のO君・K君も一緒に参加していた。
アタック&ディフェンスの練習でうまくいかなかったので、監督(大学時代の)から練習を指示された。練習後に、バスで帰り、再度グランドに集合した。
急にバレー部に話は変わったところで目が覚める。
【夢をひも解く】
ラグビーの練習の夢を見るときは、いつも練習がきつかった嫌な思い出がよみがえる。今回の夢は感情が動かず、フラットな感じであった。最近の夢は、感情の情報がない。自分の中での感触は、昼間に感情を抑えなくなったサインではないかと考えている。
2.本当に意味がないという心の声
言葉にすると少々抵抗があるが、心の叫びを言葉にすると「本当にしょうもない」ことに時間を費やした2日間であった。
自社の仕事である。
メンバーは一生懸命やっている。会社のためにやっている。
でも、本質的には意味がないこと。
本質的には意味がないことを自覚なく依頼してくるお客様、
本質的には意味がないと分かっていても、それを受けるメンバー、
本質的には意味がないと分かって、それに付き合う自分がいた
その自分を隠し・押さえてきたが、それがもう無理という心境になってしまった。
仕事なので表面的にはうなずくし、考えているふりをしているが、心の中では「つまらない」「くだらない」「意味がない」と悪ついている。
お客様の信頼があって、ビジネスが成り立っている。
ビジネスが成り立ち、それでメンバーの家族が養えているのも事実である。
本質的に意味がないところで、ビジネスを成り立たせる意味がない
本質的には、家族を養うことにも意味がない
というところに立つと、虚しさが残り、それはそれで苦悩が巡る。
また、それを誰にも言えないもどかしさがある。
ただ、そこに立つことによって、本日に意味が分かることもある。
本質的に意味がないことをやめるためには、
「自分軸」で捉える
「楽しいこと」「ワクワクする」ことのみに焦点をあてる
それを徹底的に理解するという側面で、「本当にしょうもない」2日間が、僕にとっては必要な2日間になった。
3.唯識入門と経験学習モデル
(P97からの抜粋)
明日を生きていこうとする<私>が、その仏教的人生を展望しようとするならば、不可知な<種子>そのものではなく、まず、確認可能な結果としての<現行>をながめることからスタートするより他はありません。自分の<現行>に対して、他者の評価をもいただきながら、自ら反省し、そうして、それらにもとづいて新たな行動を起こしていく-。そうしたくり返しによって漸進していくのが、私たちの日常生活の実際であろうと思います。
まさに『経験学習モデル』と同じである。他者からの評価をいただいたり、自ら反省することが必要なのだろうが、この「評価をいただく」という気持ちになかなか到達できなのが人間の性である。
『経験学習モデル』の説明のときに引用したいが、宗教的な表現は嫌われるのだろう。仏教は科学なのにもったいない。