夢日記

アーシャのアトリエのような古びた所
小さな秘密基地のような店
カウンターの中にお店の女の子
嬉しそうに自分の書いた漫画を持ってきた男の子がカウンターに座ると
それを待ちわびていたかのようにもう1人の男の子が横取ると、なにかの配達ついでに村の人達に配ってくると言った
この大地の人たちはそれだけを楽しみにしていると言った

状況が変わってパンクスチームのような
大きなバイクみたいなものでそこを旅立つことになった。

なにか良くないことが起ころうとしている
そんな感じがした

途中で合流した男の人と、最初の村に住んでいる別の男の子の実家らしきところに着いた。

なんというか、土の坂道の上に家がたっていて
その坂道は腐ってボロボロの人参と、排水溝には茶色い小さなうさぎがたくさん死んでいた。
数匹ピクピク動いていたので、落ちている人参でマシなものを食べさせようとしたけれど、どれも酷くて、じきにうさぎは息絶えた。

諦めて家を訪ねると、中には不機嫌そうな親父さんらしき人がいた。話もまともに出来ず2階の男の子の部屋を探索。ボロい部屋にそぐわない様な、白っぽい浴衣のようなものが綺麗に畳んで置いてあった。

帰ろうとすると親父さんはいなくなって、テレビがついていた。
テレビの中でさっきの親父さんが2階の浴衣を羽織ってたくさんの記者にインタビューをうけていた。雰囲気的には将棋か囲碁かなにかのすごい人っぽかった。親父さんも慣れたように話していた。
その時、ウラとオモテの人間が見えた気がした。

それからその場所を離れて、田舎の町を走り
分岐の辺りで一瞬夢だと気づいた。
夢なら人の家に勝手に入れると思い、
少し住宅街のある方へ向かった。

とある目的地の家についた。
女の子(自分意識)ガタイのいい男の人(レグニスみたいな名前)もう1人女の人がいたような気がする。

男の人が何か頼まれごとをされると自分と肩を組むようにそのまま抱え込まれ、指先で黙々と細かい作業をし始める。
男の人の集中力は強く、顔と顔が近い事などには一切なんの感情も無いように、手先の作業を進めている。
動けない自分は気づくとそのまま眠ってしまい、作業が終わるとその場に倒れ込むように眠ってしまった。その時はじめてその男の人は私の存在に気づいたよう。慌ててもう1人の女の人が私を支えてくれた。

…夢の中で倒れ込んだり、寝込むのはどこかで夢と分かっているからであることもある。

気づくとノスタルジックなピンクの外観の小さな家、扉を開けて1部屋の家に入る。
休憩していたと思うけど、雰囲気はとても心地よかった。

さっきの3人でポテトを食べていた。
話はしょうもなく、発泡スチロールのような
プラスチックのかき氷のカップみたいなのに入ったポテトは、発泡スチロールの味が少しして人間はそれに不快感を覚えるらしいと言う、
なんとも言えない会話を、3人で楽しく話していた。

多分その辺で目が覚めたか、
あとは覚えていない。

✂︎- - - - - - - -キリトリ- - - - - - - - - - -
分析としては、
最近ゲームが出来ていない、数週間前まで没頭していたアーシャのアトリエ~黄昏の大地~の世界観が全体的に反映されていた。

親父さんの家で人間の表裏。
人前で振る舞う姿と、身内のまえでの姿はこれほどまでに違うのかという。
どちらが表でどちらが裏か、考えると深くなりそう。

うさぎが沢山死んでいるのをはじめてみた。
寝る前に今年は兎年だからという、動画や歌をきいたせいか、それが何故こんなにも残酷な表現で夢に見てしまったのか。
それは自分が今年に入ってのたて続きの不調を表してくれたのだとしたら、少し納得してしまう。

ガタイのいい男の人の腕の中で眠ってしまったのは、彼氏と寝た時の腕の中に安心と心地良さを感じたからだろう。

夢の中では自分の欲に忠実でいられるのは、これは夢だという感覚が所々で感じているから。
明晰夢というには短い時間ではあるけれど、
そういう感覚がある時もある。

最後のピンクの家。
寝る前にピンクの砂嵐のようなスマホのバグがあり、必死でウイルスか何かじゃないか調べたときの、ピンクが反映されたのかな。

家の間取りも、寝る前に物件を見漁ってたからかもしれない。
ポテトも最近マックのポテトを食べたからかな、


✂︎- - - - - - - -キリトリ- - - - - - - - - - -
朝起きると同時に消去されていく夢の記憶。
自分の感覚、感情だけが置いてけぼり。
オチもなく、人に話すには荒々しい部分もあるから、それを避けようとすると自分の見たものと違ってきてしまうし、かと言って私情が絡んだ内容をまるまる話せる相手もそれほどいない。

これを聞いて楽しい、面白いと思うのは多分自分だけなんだろうけど、現実に起こってない事柄に関して興味関心をひくことは難しい。

けれどこれをここに書いておこうと思ったのは、自分もいつか忘れることを知っているから。

視覚で得る感覚と直感、雰囲気を言葉にするのはとても難しいですね。

ただでさえ言葉を知らない自分が表現したところで、きっと読んだ人も自分の映像とは全く違うように想像するだろう。

それでもそんな妄想、空想のない、日常を生きていくのはとても寂しいと思った。

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