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誕生日症候群

世の中にはサザエさん症候群っていうのがあるらしいが、わたしには誕生日症候群がある。

ひとつ歳を取るのが憂鬱、と言うわけではなく
シンプルに「誰からも祝ってもらえないんじゃないか」「普段は周りの人に大切にしてもらってると思うけど、そんな人たちでも祝ってくれないんじゃないか」(それでもその人たちを好きでいられるだろうか?)という恐怖と憂鬱。

理由になるエピソードを強いて挙げるなら、
私の1歳の誕生日にお母さんとお父さんが破局して、それ以降お父さんがいないという事実はあるけど
別にそれを私が体験として覚えているわけでもないので、
ただ誕生日祝ってもらえないの寂しいよーって言えないから、それっぽく語れる強めの背景を持ち出してる感じもする。

かと言って、明日は私の誕生日!祝ってね〜💓といって回るような図太さも行動力もなく、誕生日の前日は、朝から憂鬱な気分になって、布団の中で恐ろしくて、悲しくて、惨めな気持ちで、いじいじと涙を流していた。

去年の今頃もそんな感じで、共同生活してたメンバー全員コロナになって倒れ始めてたから、とても「私の誕生日なんだよねー」なんて言えずに、
ひとりしんどいコロナになった体をもって
ツリーデッキの上でさめざめと泣いていた。
嗚咽してた。

しかも家族グループLINEできた、母からの「今日はめぐの誕生日です、みんな祝ってあげましょう」というLINEも、さらに惨めな気持ちにさせるのであった。
好意で言ってるのは分かるけど、そのメッセージのあとに送られたお祝いはぜんぶ促されて送ったものみたいじゃん。

小学校の先生の無神経な「〇〇さんはかわいそうなのでみんな仲良くしてあげましょう」と同じレベルの失言だよ…と思いながら泣いていた気がする。

ニュージーランドの人は自分でケーキつくって、みんな祝ってー!と行動を起こすと聞いて、それをやれば祝ってもらえるだろうと思っていたのに、みんな病人で、砂糖は免疫力落ちるし、味がわからないとか言ってるし、そも寝込んでるしでもう絶望的だった…

一昨年はなぜか家族みんな出かけてて、漫画喫茶で漫画読みまくるという、楽しいが正直虚しい誕生日を過ごした。

言うて私自身、関わりのあるひとの誕生日を律儀に祝っているわけでもないし、お互い様なんだけど、
もう祝ってもらえないことが悲しくて、自分から言って祝ってもらうのも、なんか違うんだよなぁと言う感じで。

でもこの悲しみを友達に言ってしまったら、悲しむから祝ってあげなきゃ。ってなるのも嫌だった。

祝うかどうかなんて、強制したくないし(乞われて祝うのってなんか祝いの気持ちが濁りそうって思う。純粋じゃないやらされは要らないよね)
その人の自由意思に任せたい。
大切な人であればなおさら。

そんな拗らせ女に今年も誕生日がやってきてしまった。

もはや、死んでいるから、絶望してるから、何があっても傷つかないぞ、という無敵な気分で迎えた誕生日。

傷つかないわけじゃないけど、
どんなに悲しい現実がきても、
私はその悲しみに寄り添う(自己共感)する覚悟をもって迎えた誕生日。

誰も祝ってくれないか、
祝ってくれるならどんなひとなのか、
そのときその結果を今年の私はどう感じるだろう?と
ただ観察して共感してあげようと決めた。
そして元気ならば、できそうな人には
今日が自分の生まれた日であることを伝えて祝ってほしいと表現してみようと思った。

結果的に今日は
起きてから、不思議と自分の家族への優しさや共感のようなものが湧いてきていて、

すごく嬉しいひとから祝って貰えて
(覚えてくれたのが嬉しい)
それで気づいた身近な友達も祝ってくれて
(誕生日覚えられないタイプなの知ってるから、そこには期待してないけどいつも一緒にいてくれてありがたい)
家族も自主的に祝ってくれて
(お母さんも余計な言動もしないでくれてありがたい。)
家族とテレビ電話でゆっくり喋れて、感謝も伝えられて(母は姉と一緒に、めぐを産んで頑張った記念〜と言ってワイン開けてパーティーしてた。笑)

そして私も自分の喜びのために行動を起こせて
(ちょっと行きたいところに出掛けてきます)

すごくほっこり満たされた一日となりました。

いま私の周りにいるひとのあったかさや愛おしさをしみじみ感じるような。

そして、わたしにはいわゆる父はいないけど、
身の回りに素敵な父的存在はたくさんいて
血の父もまぁ生きてるし、
それはすごく恵まれたことだと思う。

個人的なことだし、
かまってちゃんと言われるのも癪だし
(図星なことは癪だよね)

身近なひとだけにシェアすればいい内容でもあるけど、
もしかしたら、私以外のだれかも誕生日祝ってもらえないことへの恐怖や悲しみを持ってるのかもしれないなーと思ったり、
無防備さへの挑戦として弱い部分をオープンにするのもよかろうと思って、
ここに置いてみる。

別に祝ってくれなかった友達も、大切さに変わりがないし
好きな人は好きだよと明記しておきます。

29歳の抱負とか言えたらいいんでしょうけど、
目標立てて生きるタイプでもないし、
気分でピンと来たことを日々やりたい派なのでとくに宣言することはありません。
(したら多分撤回・変更することになるのが面倒)

でも、肉体を得て生まれることができて
今日まで生きて来れたから出会えた人がいるのは本当によかったなぁと思う。


写真は
壮大な風景じゃないけど、
窓の外の瓦から雨樋にしたたる雫が綺麗だったので。

ちょうど今日という日の美しさはこんな感じだった

#誕生日おめでとう自分
#無防備さへの挑戦
#誕生日症候群

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