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本とあたらしい野望。【山本教行著 暮らしを手づくりする 鳥取・岩井窯のうつわと日々】

不思議な本である。
北海道のまたたび文庫で買って、つぎつぎ面白いエピソードが飛び出して来て、あっという間に読み終わってしまった。

次の週に、例によってそのきらきらしたところを手帳に書き写そうとしたのだが、不思議なことにぜんぜんその箇所が見つからない。私は迷子になってしまった。
なんなら、目が文字の上をすべってしまって全然頭に入ってこない。

しょうがない、あのきらめきはしばしのお預けだ。
そんな風に自分に言い聞かせて半月ほど放っておいた。

本の写経タイムは意外にもはやく訪れた。
そもそもこの本は買った時点で、ある方に渡そうと思っていた。
本には、はじめっから次に手に取ってほしいひとの顔が浮かぶ本、というのがある。

ちょっと厄介だったのは、この本は読むほどに読んでほしい人の顔がつぎつぎに浮かんで、誰に贈るか困ってしまったことだろうか。
結局いちばん最初に浮かんだ人のもとへ贈ることにした。

そのひとに連絡して、「今日、もしお時間があえばキャロットケーキと本を持って行ってお話したいのですが」みたいなことを伝えて、
お返事が返ってくるまでのあいだに本を写経することにした。

スイッチの入らない私はこうしてしばしば他者を利用する。
(他者そのもののときもあるし、その人との予定をガソリンにする、ってこともある。)

そしたら、出るわ出るわ、ここ、書き写したい!という言葉の数々。

本を読んでメモするとき、
単語やフレーズだけでいいやって本と、
です、ます調や、言い換えに使われた言葉まで拾いたくなる本がある。

後者はかく文字数が増えるので正直骨が折れる。
ひーってなるけど、それは相当に書いた人の空気感になにかを感じられたということ。喜びがそこにはある。

全部で9ページにもなってしまった。
そんなこの本の魅力を、今日は語ろうと思う。

山本さんが、ほんわりと語ってくれるような本


「ここには、僕の『いいなぁ』が詰まっています。」

この本は、語りかけてくるような本だ。
私は山本さんの声は聞いたことがないのだが、彼の声で工房や参考館のなかを歩きながら、あるいは腰かけてすこし遠くを眺めながら、山本さんが想いや思い出を語っているような、そんな空気感の本なのである。

山本さんがどんな子供だったのか(「三つ子の魂百まで」を感じる)
どんな青年だったのか。
それは一貫して「妥協ができない」「自分の生き方がしたい」「美しいものが好き」ということだ。

弟子入りした工房で「無理してでも自作」をつくるために、生活を切り詰め、周りの人の助けを借りたり、先輩に怒鳴られながらもちゃっかりしているあたりエピソードなどは、懐かしい映画「青春デンデケデケデケ」を見ているようなあったかいほほえましさすらある。

土石流は、ギフト

また、山本さんが42歳の時に台風による土石流で「一夜にして、これまで築いてきたものが消えて」しまった話も、勇気づけられた。
(いま、ちょうど我が家はちょっとした危機なのである。)

山本さんの工房や家は、ただの生活の場、仕事の場ではない。資料館のような、美術館のような、博物館のような、そんな役割も担うほどに、貴重なあれこれが集められていた、と思う。また、ご自身で作り上げた暮らしだから、業者に注文すれば再現できるような部分は本当に少なくて、どの部分にも魂や思い入れがこもっていただろう。
それが、なくなってしまう。

なんだか、柳宗悦さんの「手仕事の日本」の巻末に、彼の描いた(集めた?)多くの資料が空襲で焼けてしまった、というエピソードを思い出した。集めるのに掛かった労力と、その内容のかけがえのなさ(工業製品ではないから、どれも一点もの)を思って、やるせない。と思った。

そんなとき、山本さんはどうおもったか。
そこが、もうふつうじゃない。笑

「ずーっといいなあと思っていた韓国の両班のような空間をつくるチャンスだ」と思ったそうなのである。

さながら、強い敵が現れるとピンチなのにワクワクしてしまう某男性のようである。
悟空は強者と戦うのが好き。

山本さんは、美しい空間をつくってみるのが好き。

そこには、常識とか、ふつうはこう、という枠からばーんと突き抜けた「異常さ」がある。
それは、魅力と言い換えてもいいかもしれない。

(わたしはしばしば、そういう人と会う幸運に恵まれていて、
ものづくりでも、料理でも、お酒造りでも、片付けでも、そういう異常さをもったひとのことを尊敬をこめて「変態」とよんでいる。)

その後に、奥さんといまの暮らしをはじめたころのことを思って
「もともと何もないところからはじめたのだから、失うものなんて何もない。」と言える強さ。いや、しなやかさ。
「土石流は災いではなく、ギフト」と言えるところに、美しい前向きさとともに狂気すら感じる。(ほめている)

耳が痛いけど、必要なメッセージも

山本さんは「いい土の近くで陶芸をやる」というスタンダードな場所選びではなかった。呼ばれたからそこで開いた。当然いい土はない。

いい土を探して彷徨うなかで、いい土を探すのではなく、「この土だったらどういうものが作れるだろう?」と「土に聞く」ことを学んだそう。

「目の前の材料で何ができるか考える」ことは、陶芸に限らず人生全般に効いてくる在り方だと思った。

いまあるもの、私が携えてきたもの、私の中にあるもの…
ときには、土のように「風雨に晒す」ことで扱いやすくなる素材もあるのかも。なんでもしまっていてはだめだ。表に出して、使わねば。

これは、どんなに貴重で高価な器であっても「奉るものはひとつもありません」と、暮らしの場につかいこんでいく、山本さんのものとの付き合い方にも共通している。

(そんなわけで、今日のおやつのキャロットケーキは、お気にいりの酒器で紅茶を飲みつついただいた。)

私がぐっときた、山本さんの「なんか知らんけど、いいなあ」

本を読んでいると、どうしようもなく、書き写したい!と感じる部分がある。
それは、たぶん、書いた人の心が動かされた瞬間がこもっている部分だ。
(私が反応しなかった部分にも、たくさんそういうところはあるのだろうけど)

そこをすこし、ご紹介。

ひと口に白といっても、鋭さのある白もあれば、親しみのあるやさしい白もあります。
僕が目指すのは、さわれば弾力があるかのように思えるやわらかな白。
原点にあるのは自転車で韓国をまわったときに見た石仏です。慶州の石窟庵には石の阿弥陀如来があり、それがじつにやわらかい白なんです。
ふれたら、人の肌のようにもっちり押し返してくるかと思うほど。
あの白に少しでも近づきたい(…)

p.73 ふつうのたい焼きでふつうじゃないたい焼きをつくる

この文章!もっちり!私もその石仏が見たい(触れたい…)と思ってしまった。そんな「ふつうじゃない」白のうつわを日々なでまわしたいな~と思ってしまった。

情を交わせるものを身近に置き、生活をともにすること。
思わずなでたくなってしまうようなもの。
ぼーっと見入ってしまうようなもの。
そんなものこそがありきたりの日々に幅をもたらし、豊かな気持ちを与えてくれる。

p.100 便利より情緒が暮らしを豊かにする

山本さんの、ものへのあたたかい付き合いかたが伝わってくるようだ。まるで猫好きが猫を眺める視線である。

本を贈ることと、あたらしい野望

ちなみに、本を贈った相手の方は、「妥協ができない」ひと。
すごくストイック。楽しみつつそれをやっている気もする。食と器を大切にしている。道の駅が大の好物。この本で言われていることは、彼女の言葉と重なりすぎて読みながら語っている声が聞こえてくるようだった。

そんな大好きな人に本を贈るのが、わたしの喜びだな。

なんなら、著者の山本さんに贈りたい本がある。
ゴフスタイン著 ゴールディーのお人形
という絵本。

私はこの本に「背伸びした、でも本当に自分が美しいな~と惚れ込んだものを買う」背中を押してもらった。ビビりなもんで。
そして、その買い物を通して、大切なものができたり、本当に欲しいものが分かると、ほかの些末なことが「ちゃんと」どうでもよくなる、ということを実感した。

あとは、「ほかの人が理解してくれなくても、自分のために自分で選ぶこと」のすがすがしさとかも。
(ここらへんについては、秋田道夫著 機嫌のデザイン でも詳しく語られている。秋田さん曰く「自分で責任を持って選んだものに囲まれると、自然と気に入った空間になります」とのこと。)

きっと山本さんなら、ゴールディに「そうだよね!わかる~」って共感してくれると思うのだ。けれども、もうすでに持ってるかもしれない。

山本さんにこの絵本をもって、会いに行きたいなぁ。
っていうのが新しい野望。
母も山本さんの在り方に元気づけられそうだから、一緒に行けたらいいけど、それを待つとかなり先になってしまう。
先に本だけ贈ろうかしら。

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