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一昨日も会ったのに、長らく会えなかったようなあの人と。りんごのスープ
好きな人と1対1で話すこと
2025年しないことリストに4人以上の会食って書いた私。
人数が多くなると場の会話の内容が薄まる、話題が割れて注意を保つのが難しくなる(どっちの話もききたくなるから)
シンプルに騒がしくなる
そんな理由で苦手だった大人数での会食。
お書き初め会では平均6人、MAX10人くらいが居たけれど、「やることがある」「好きな風に過ごしていいゆるさ」のおかげで結構居心地がよかった。
意外と大丈夫になってきているらしい。
ただ、嫌いな状況を避けるのと同じくらい、「自分が求めている状況」を自分に与えてあげるのは大切だ。
私の場合、今回は「好きな人と2人きりでゆっくり話す」ことがそれだった。
その好きな人というのはある絵描きさん。感性というか好みに近しいものがあって、私のみつけたきらめきや喜びのよき理解者である。分かろうと思って理解できる、というより、おなじテンポと深さで「いいよね」としみじみ感じてくれる。
そこには「分かってもらう」はなくて、「自然とわかる」がある。
去年も今年も何度も会ったけど、2人きりで会う機会はあまりなかった。
年末に2年前くらいに彼女と電話した時のメモを見返して、こんな豊かな時間があったのか、となんだかびっくりした。
2年前のおしゃべりが、未だに新鮮な喜びを与えてくれる。そのくらい、彼女とのおしゃべりは深いところからの気づきというか、私という人間の普遍的な部分が出る。
最近はその時間がないことに慣れてしまって、それを自分が求めていることにも気づかずにいた。
ただ、そのメモのおかげで、彼女とゆっくり話したいニーズがあることに気づけた。
今の私には、彼女にしかシェアできないもの、したくないものがあった。
本で読んだりんごのスープを一緒にちびちび飲みながら、積もる話がしたかった。
勇気を出して連絡して、夜に会う約束ができた。(1対1で会いたいって伝えるのは少し勇気のいることなのだ。本当に相手が私に会いたくないと成立しないことなので。)
その日の昼はりんごの剪定講習会に参加。質問や剪定作業もそこそこに、私は発見してしまった。雪で真っ白のりんご畑に、ほんとうに小さな、でも新鮮で完成されたりんごがなっていたのを。
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これはあの子に見せたい。
樹の持ち主さんにお願いして、そのちびりんごを採らせてもらった。
さらに主さんは傷りんご(でも美味しい)のいくつかを持たせてくれた。
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これでりんごのスープができる!とほくほくして、夜に備えてお昼寝。
やっと会って、2人きりになったら、涙が溢れてきた。自分でもびっくりした。こんなフラストレーションレベルで会いたかったのか。
「2人の時にしか話せないテーマ、出てこない私がいる」と前置きして、最近感じていたことを話し出す。
どれも、小さなこと。私にとっては大切な。
彼女は私の夢をみたという。「めぐちゃんにブルーベリーののど飴をあげなくちゃ」という夢。そして2つのブルーベリーののど飴をくれた。
私はちょうど、のどのひりひり、深い痛みを感じていて、それはぴったり、私が必要としているものだった。
ただの龍角散のじゃない、ブルーベリー味の。
さっそく舐める。
マイペースが必要なのに、自分のペースを守るのがへたなこと。
繊細なことを感じつづけられる時間や空間の必要さ。
それは、緊張したり、許可のもとですると、別のものになってしまうこと。
心地よく料理をすることのなかには、私が食べたいものをつくる、が含まれていること。
私の料理が別の人の料理になってしまう瞬間、など。
母といるときの自分。
他者との境界線。
講座のなかで発生する興味ないひとの雑談へのしんどさ。
パートナーに感じているありがたさ。
(「おんなじペースで感じていられること」)
そんなことを、薪ストーブの上の厚手の鍋で、りんごを煮つつ話す。
途中、話が盛り上がってりんごの面倒を忘れる。いや、忘れたかったのかもしれない。
いま、私たちの話を中断させるものは何もあってはならない、そんなきっぱりしたものが無意識に私の中にあった。
煮りんごのお世話を優先させたくなかった。
私にはいまいちばんこれが大事なのだ。
(そのために、煮りんごをしない、のは違うのだ。りんごを煮ているにも関わらず、目の前のおしゃべりを優先したかった。)
そしてりんごは一部焦げてしまった。
これは、キャラメリゼを過ぎたね…と2人で苦笑しながら、まだ大丈夫なりんごと真っ黒なのとを選り分ける。
ただ、どちらも美味しかった。
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ひとつまみの塩で煮たりんごをブレンダーでポタージュにして、こげりんごと、何か白いもの。この日はココナツクリームをトッピング。
レシピも手探りで、りんごのスープができた。
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薪の火で煮られたりんごはあり得ないほどふわっと、うまみが凝縮していた。
この焦げは、楽しいおしゃべりに夢中になった証拠。それもまたソース的うまさ。
2人ともなんだか胃腸の調子が良くなかったので、このりんごがよるごはん。
ちびちび食べる。
これがしたかった。
大切すぎてしたいとも声を大にして言えないくらい、隠しておきたいような私の願いだった。
忘れないうちに、シェアしたかったものをかばんから出す。
それは昼にもらったちびりんご。
これは、という香りのキャンドル。
フランスでできた友達に教えてもらった曲。
(Pomme というアーティスト。つまりはりんご)
今日はりんごナイトだ。
数日前から目の中でゴロゴロしていたまつ毛もとれた。
なんでかしらないけど、とれなかった。見えなかったような気もするし、まつ毛をとってられないほど、なんだか気が急いていた。
ギターを始めようと思うんだ、という話をして、お迎えが来てしまったのでバタバタと帰る。
でも、ああ、なんて満足。
私が美しいと思ったものを、同じようにいいと感じてもらえること。
そこには、ゆっくりさ、細やかさみたいなものが必要なのだ。
そんな相手と好きなものを味わうと、さらにその良さに浸れるのだった。
「めぐちゃんの解像度の細かさじゃないと見えれないものがある。
細部をきちんと味わってるからこそ、めぐちゃんの絵を見た人が味わえるものがある。」と彼女は言った。
ときどき、自分の細かい絵が垢抜けないなーと感じることがある。
いまのお洒落な絵はすっきりしてるから。
でも、垢抜けなくても、私の絵は伝えたいものを伝えているんだろう。
好きなもの、ぐっときたものを、その喜びに忠実に描いていこう。
りんごのスープが出てきた本のリンクを載せようと思ったのに、探しても出てこない。
紅茶1杯分のしあわせ ってタイトルだったはず。
帰ったら確認してのせておきたい。レシピもちゃんとついていたんだけどね。
2025.01.17追記
本は
徳井いつこさんの『この世あそび 紅茶一杯分の言葉』でした!りんごのスープのレシピは、p26 ポムと林檎 で紹介されてます🍎