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コーヒー、ビール、運転免許 大人になりたくなかった話

※長文、かきなぐり、甘えです。

丹後はコーヒー文化圏だと思う。
こっちに来てからびっくりしたのは、なんの集まりでも、とりあえずお茶、じゃなくて、とりあえずコーヒーであること。
住民の集まりの飲み物、
来客への飲み物、
それはコーヒーなのである。

長野(市)は緑茶だったなぁと思う。
埼玉は紅茶と麦茶文化。
東京はお好みで無限の選択肢。

地区の集まりで用意される、水の綺麗な山の、湧き水コーヒー。
美味しそうでしょ?ぱっと聞き、とても美味しそう。なんか隠れ家カフェ的なオシャレ感ある。

しかしながら。

私はコーヒーが苦手だ。
お子様なので、苦いものは基本的に苦手なのである。ただでさえ寝つきが悪いのに、夜眠れなくなっちゃうし。
苦いから苦手っていうんでしょう、ってくらい苦いものは避けている。

いやね、憧れはあるのよ。
朝、自分またはパートナーの淹れてくれたコーヒーから始まる1日。
とか。
お洒落な喫茶店のマスターのこだわりの一杯。
とか。
自然の中で友達が淹れてくれるオーガニックコーヒー。
とか。
職人さんが囲炉裏の火で沸かした山水コーヒー。
とか。
そういうものが、 はぁ〜素敵と思うし、よい時間だなぁって思う。幸せな気分になるよね。

でも、ごめんなさい、
わたし、白湯で大丈夫です。
ココアかチャイなら小躍りします。

わたしでも飲めるコーヒー、美味しいって感じるコーヒーもたまにあるけど
それはにんじん嫌いが特殊な環境下でにんじん食べれる、みたいな話であって、
にんじん嫌いはにんじん出てきたら基本テンション下がる。

ちなみにあんまり苦くなくて美味しかったのは、(雰囲気とかがよかったコーヒーは沢山ある。単純に味ともう一杯のみたいって思えたコーヒー)
下北沢の花泥棒は珈琲屋ですっていう喫茶店の、ニコ・ロビンの技名みたいな名前の可愛くないお値段のコーヒー。いい香りで優しい甘みが好きだった。おかわりした。

某炭焼き先生の奥様の淹れてくださったコーヒー。可愛い焼き物のカップに入って出てきた。あまり苦くなくて飲みやすかった。


ミルク、砂糖をめっちゃ入れたら美味しく飲めるんだけど。苦いのを無理して飲む為に、余計なもの入れるってのもあんまり好きではなく。

なんで丹後はコーヒー文化圏なんだろう、
って考えたら
多分こっちは大人の世界なんだよね。
子供とか少ないじゃん。

大人なら出来ているべき当たり前のラインみたいなのがあって
一定の年齢になったらそれに合わせてくるのが、マナーみたいな感じなんじゃないかなぁ。

東京とか埼玉はそこんとこ、もう少しゆるい気がする。大人でもコーヒー飲めない人、お酒飲めない人、免許もってない人でいる、ってことが許されてるというか。
「当たり前」じゃない人もいるよね、とか
「言わなくても通じる当たり前」って実はないよね
みたいなスタンス。

コーヒーの苦味が苦手で、
ビールも苦くて飲めなくて、(甘い日本酒は大好きだ)
運転免許ももってない

そんなやつは20歳越えてても人権ない。人として認められない。半人前。

ちょっと話は変わるんだけど、
先日埼玉に1週間帰って、過食で4.5キロ太った。
実家帰ると太る、みたいな可愛いものじゃなくて。
食欲があったわけじゃないのに(むしろ若干気持ち悪かったり、いつもより食欲なかった)
毎食限界まで食べて、ご飯が終わったそばからおやつを探し、ひっきりなしに食べていた。
お腹いっぱいなのにおかわりして、
夜中にお腹はち切れそうなのに芋けんぴ一袋食べて、
翌朝胃もたれしてるのに朝ごはん詰め込んで。
食べ終わったそばから次のメニューを考えて。
このチーズケーキ、残しておかないとお母さん悲しむだろうなと思いながら、止まらない。

自分でも、これは食べたくて食べてるわけじゃないって気づいてた。食べてる最中と、ある一定まで食べたときって、なんにも考えられなくなるんだよね。

なんにも考えたくなかった。
正確には、向き合いたくないことから逃げたかった。
現実逃避のために食べていた。
少し自分を雑に扱いたい、自傷欲求みたいなのも感じた。たべものたち、ごめんなさい。美味しかったは美味しかったけど。ちゃんとお腹減ってるときに、食べたいから食べるものと比べたら美味しさが半減だった。

自分が何から逃げているのかも、あんまり考えたくなかった。
はっきりさせるのが怖いような。
いくつかあるから、いっこいっこ考えるのがしんどいような。

免許とりなさいって複数の人から言われたり、移動手段がないことで困ったこともあった。
とにかくせめて原付の免許でもとらないと
と思って、仕事もあるし埼玉に帰った。

ツリーハウスの件が
一見進んだようで(良さげな樹に出会えた、土地の所有者も判明)
現実的になるほど壁もでてきて(日照時間の短さ、強風、塩害)
ああ〜どうしよう〜と悩んでいたり。

過食で体重いし、なぜか教習所には行ってないし、気晴らしの漫画は面白くないのに読んでも読んでも物足りなくて、髪の毛抜いてしまってるし、痒みがあるわけでもないのに身体中掻いてアトピー悪化してるし(皮膚科に行って薬もゲットしたのに、塗らない。セルフネグレクト)、夜も眠れないし…
大切なことから目を背けてるから、どこか会話も上の空。

これは、現実逃避。
諦めと投げやり。
自分に無理な刺激を与えている。

仕方なく自分が逃げてるものに向き合うことにした。

私は何から逃げているの?


免許をとること?
条件悪いところでのツリーハウス?
京都暮らしそれ自体?
いまだに執着してしまっているあの人?

多分、全部なんだけど
とくに大きいのは免許のようだった。


免許とることで…
大人になりたくない こどものままで居させてよ。
車社会のシステムを維持することに加担したくない。(化石燃料、車ありきの街づくり、アスファルトの道路がいや)
選択肢を増やしたくない 選ぶのいや 選んで後悔するの消耗する。
それなら選択肢がないか限られてるほうがマシ。
所持品を増やしたくない。
車を手にすることで怠けキングな自分に歯止めがきかなくなるんじゃないか 歩かなくなるんじゃないか。
人を轢いた時逃げてしまうんじゃないか。
自分を信用できない。
自分の弱さを知っているからこそ。

責任を果たすとか、与えられた自由をうまくいかすとか、多い選択肢の中から選ぶとか、自分を律するとか
そういうこと、めちゃくちゃ苦手なんだよね。
それをできるようにするより(何度も挫折して自己嫌悪になる)
自分の弱さを知ってるから、自分と戦わなくてよい環境を作るようにしてきた。

轢き逃げしない自信がないから、
免許をとらない。
(誰かを轢くぐらいなら、自分が轢かれたほうがマシだし、獣に遭遇して食べられる方が私の心は平和である。あるいは車を運転できる人に頭を下げて、何があっても受け入れますって覚悟を決める方が安心。ヒッチハイクよくする。自分も人間的弱さがあるので、他人の人間的弱さには比較的寛容。とはいえ危ない目にあったことはない。)
便利なものに頼ってしまうから、
車を持たない。
おかしがあったら全部たべちゃうから
買わないし、スーパーから遠いところに住む。

大人になりたくない
ってのと、
自分を信じられない
ってのが大きな声のようだった。

大人になることの
一番大きな要素は
それをしても褒められない、自分がやりたいわけではないことをできるようにする
当たり前をできるようになるってことだ。

他人に甘えてないで、
当たり前のラインを超えなさい。
でも、当たり前のことなので褒めません。

あーーーー
誰かにはやって当たり前の、自分にはすごい苦手なことをめちゃくちゃ労力かけてやるって、辛さしかないよ〜!泣
大事なんだけど、大っ嫌いだーーー
大人になるって辛いよーーーー!

でも、一人前とは認めてくれるんだろうな。(顔には出さないだろうけど)
マイペースに生きやすくなるな。
遊びに行く場所の自由度は上がるなぁ。
こんだけ騒いでるから、家族・友達は褒めてくれるだろうな。呆れながら。

もーーーとるかぁ、免許。

車に轢かれて死んだ人たちは、轢いた人が免許とったことはきっと責めないよね。最善は尽くすから、許してね。(現行のシステムは、そういうことだよね、怖いね。)

あーーー
コーヒーもビールも運転免許も大っ嫌いだ!!!
でもこれ、好きになったりできるようになったら、豊かな人生の大事な一部になること間違いないものばかり。

絶対、後で振り返ったときに「うわぁーなんで私、あんなに頑なに嫌がってたんだろ。こんなに便利なのに・素晴らしいのに・楽しいのに。謎だわ笑」ってなるやつベスト3じゃん。

これたぶん、玉ねぎ。
中学生くらいまで玉ねぎ大嫌いで、発見した人を呪ってた。いまは発見者に感謝してるし、連綿と栽培を続けてくれた人類にも、農家さんにも感謝してる。愛してるぜ、玉ねぎ。

こうやって、普通の人が葛藤しないところで、躊躇しないところでわたしは足踏みしてるのです。うんこ!


自分を信じられない問題については
解決策は 日々、自分との小さな約束ごとを守る、を積み重ねる、しかないんだと思う。
でも、これやろうとしてて、日々取り組んではいるんだけど
無理してやってるから、できなくなるときが来るんだよね。
できなくなると、続けた1週間なり1ヶ月なりの時間はどっかに消える。あれだけやった自分!って自信にはならない。結局ダメだった事例として記憶されている。頑張ったのに、さらに傷つく悪循環。うんこ…

でも、この問題に向き合ってみてよかったことがある。
私は自分を信用できてないけど、こんな私でも、愛してくれる人たちがいる。

私がそのまま素直にしてても
太ってみたり、
嘆いてみたり、
わがまま言っても
見守ってくれるひとがいることを思い出した。

否定しないで話を聞いてくれる人。
その人の考えや見解は伝えてくれるけど、私の存在を肯定してくれる人。
優しくしてくれる人。
会うのを楽しみにしてくれる人。
面白がってくれる人。

向き合って、自分の声が聴こえて、大事な存在に気づいた翌朝から、あの異常な過食が止んだ。

やっと休めるぜ。(胃腸の声)


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