癒される場所 歯医者
なぜかわからないけれど、好きなもの。
私にとってのそれは、歯医者だ。
母といっしょに通った歯医者。
歯医者のある場所は、前に住んでいた家のそば。今の家からも徒歩で行けるくらいには近いのに、ひどく懐かしさを感じる場所。
自分がそこで遊んだことはない、よその公園。
夏祭りのときにだけ行く神社。
小さなお寺と、家、家、家。
あの懐かしさは、坂のある風景からくるのだろうか。
とにかく、小学生の時にはすでに、そこは懐かしい場所だった。
歯医者に入ると、あの独特のスーッとする薬の匂い。この匂いが好きだった。
ぴかぴかに磨かれた白い床。
こどもの足にぴったりのスリッパ。
優しい受付のお姉さんと、待合室のジャンプの最新号が目当てだったのだろうか。
それとも、扉をあけて診察室に入るときに迎えてくれる、くろい猫が背もたれになっている椅子がお気に入りだったからだろうか。
なぜか、わたしは歯医者さんにいる時間が好きだった。あの歯を削るドリルの音も。
治療の終わった後の舌に広がるすこし苦い味も。口の中の違和感も。
エコとか、自然派とか、いろいろこだわりが強くて、人工的な場所は苦手なのだけど、歯医者さんはとくべつなのだ。
さっき、久しぶりに歯医者さんに行ってきた。小さい頃に通った場所とは別の歯医者さん。歯医者特有の、あの匂いはしない。(ちょっと残念)
痛いなぁとは思いつつ、山奥での暮らしに入ってしまったし、つい放置していた虫歯は、両サイドの歯にまで広がっていた。
麻酔もつかって、一大工事とばかりにどんどん掘り進んでゆく。おお、これは深い虫歯だ、と鏡で見せてもらった掘り跡をみて感心する。
私はといえば、そりゃあ痛いときは顔をしかめるけど、流れている音楽だとか、椅子の座り心地のよさとか、唾液を吸い取る管の音に、身を委ねていた。
このまま寝てしまいたい。
治療がおわって、口の中の、左の母の内側の感覚のなさを、舌で感じて遊ぶ。
明かりを消したライトにうつる、薄紫色と山吹色の光は、何が映り込んでいたんだろう、きれいだった。
ここでも、受付のお姉さんは優しくて、あたたかい人なのだった。
歯医者さんをでて、もわっとした町の空気に包まれる。
誰かにとって、美容室で感じるような、
落ち着いたカフェで感じるような
そのものが好きで、いることで癒される感覚。
自分が好きだと自覚しているテイストとは真逆なのにね。思考を超えた「好き」が、そこにはある。