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半漁半ナース、ときどき産婆という生き方

いまからここに書くことは、妄想である。たまたま、昨日の夜盛り上がっちゃって、そのまま止まらなくなった妄想。


1週間前から訳あっていっしょに暮している友人がいる。(名前を仮に、カレー神とする。)彼女の地元は、おいしいもの、自然に丁寧に育てられたもの、食に熱い人々に溢れている。彼女自身も舌が肥えていて、素晴らしい料理を作られる。(だから、カレー神)

そんな彼女の調べものの過程で、彼女の地元の近くのとある町の地域おこし協力隊の募集内容を見せてもらった。「本と温泉の活動のアシスト」「コミュニティナース」「半漁半X」・・・

「半漁半ナース、とか助産師って面白くない?」

彼女は言った。こちらは「だね。個人的には温泉と本がおもしろそう」と言ったかどうか、定かではない。(温泉と本のほうがすき)

ただ、その一言でいろいろな「点」が集まり始めてしまったのである。

ひとつめの「点」はフィリピンの産婆さん。フィリピンにある、HOJ(ハウス・オブ・ジョイ)という孤児院に行った時のことだ。院長である澤村さんのご紹介で、漁村に住む、ナナイ・スィンタさんという産婆さんに合わせていただいたことがある。

村を訪ねると、「彼女はまだ漁に出ている。戻ってくるまで待て」とのこと。

そう、彼女は現役の漁師なのである。漁から戻ってきたスィンタさんからお話を聞かせていただく。マッサージ師でもある彼女に、オイルマッサージをしていただきながら。

フィリピンの法律が変わって、2016年からは自宅で産婆が赤ちゃんを取り上げることができなくなってしまったという。そんなわけで、彼女は自分の娘の出産を最後にお産を取り扱っていないとのことであった。8人の子供がいる彼女は、「8人目は自分で引っ張り出した」とか「自分は8人目の出産の後は数日後に漁に出てた」とか、武勇伝の尽きない方であった。

「どうして産婆になったのですか」と尋ねると、「なんとなく。旦那のおかあさんも産婆だったから、習ったりね。習う前から知ってたけど。妹や弟のときの母の出産を手伝ってたから。マッサージしてくれって人がいっぱいいたから、マッサージしてたの。妊婦さんのマッサージして、逆子を治したりしてるうちに、そのまま生まれるときも、みたいな感じね。」日に焼けて、黒光りする顔で、スィンタさんは笑った。いかにも漁師という感じの、なりわいで鍛えられた無駄な脂肪のない手足。半漁半産婆と聞いて、彼女の顔がひさびさに浮かんだのだった。


もうひとつの「点」は、敬愛する生態学者、ロビン・ウォール・キマラ―が著書「植物と叡智の守り人」で語っていた、こんな話。

ポタワトミ族では、女性は「水の番人」だ。儀式では、女性が聖水を運び、水のために行動する。
「女性はもともと水とのつながりが強いのよ。だって、水も、女性も、生命の担い手だもの。」と妹は言う。「女性は体の中の池で子どもを育てるし、赤ん坊は水の流れに乗ってこの世に生まれてくるの。すべての生き物のために水を守るのは私たちの責任なのよ。」
良い母親であるということには、水を守ることも含まれるのだ。(p126 メモなので行数は不明)

2019年に私が夢中になったもう一つの本。石牟礼道子の「苦海浄土」。声に出して読んでしまったのは自分だけだろうか。水俣病で、身体も、大切な人との関係も壊されていった「ゆき」。彼女が「海の上はほんによかった」と、旦那さんとの船の上でのひとときを回想する場面がある。

それがなんとも美しく、キラキラ光る海の上で、魚を食べてみたくなったりするのだ。

産婆という、命を迎える現場にあるものが、海という、命の始まりでもあり、すべてが流れ着く場のことを「肌で知っている」こと。水俣病は海の異変は人間の異変につながっていく、と教えてくれる。その源には、経済や社会のために自然を顧みない人間の活動があることを。

東京湾で釣れた魚は、焼いているときに泡が出るのだという。洗剤の匂いも。

水俣病は続いている。終わるわけがないだろう。それは、私たちが何を水に流しているかを見ればわかる。あるいは、何を水に流していいと思っているか、を。

半漁半産婆なら、海のいま、暮らしのいま、お産や子どものいま、を並行して見ていく視点を持てるのではないか、と思ったのだ。水の番人のひとりとして。


さいごの「点」は、自分の好きなものである、「死を考える」ことや「お年寄りからお話しを聞かせてもらう」こと。

小学生の時は怪談が大好きで、中学生の時はご遺体を解剖する法医学者になりたかった。向こう側の世界や暗闇、死体や臨死体験といったものに吸い寄せられていた。身近な人がなくなることはあっても、死に際に立ち会えたことはなかった。

かわりに、実家が助産院ということもあり、生の現場、誕生の瞬間には数えきれないくらい立ち会わせていただく機会があった。

ひとには与えられた役割があるのかもしれないけれど、生ばかり看ているのは、どこか片手落ちな気がする。物事のおわりが見えていると、その始まりやおわりまでの過程への向き合い方も深まるんじゃないか。わかんないけど。

地域に出て行って、暮らしに入って、健康や暮らしをサポートすることには、その終わりも自然とついてくるのではないか。

それ以上に、地域の年長者と過ごす時間が増えれば、昔話や暮らしの知恵や人生の道のりなど、いろいろなことを聞かせていただけるのではないか、と思っている。


このように、「点」が気持ちいいほどにつながっている。

やりたいことなのかもしれない。理由やストーリーはすらすら浮かぶし、いくらだって語れる。でも、「うまくストーリーにまとめてしまえる」話なんて、「なんでか分かんないけど、頭から離れなくて」という起きてしまったこと、「そうなってしまった」ことには敵わないんじゃないかと、モヤモヤしている。(なんの勝負をしているんだろう。)わかりやすく面白い、突っ込みやすい、ネタになる人になろうとする私がいる。


たぶん、こんなに語れちゃうことは、たぶんそこまでやりたくないこと。だから、自分を納得させるために、多くのことばが必要なんだと思う。自分に言い聞かせているだけ。よくわからなくて、面白いっていうか変な人で、ネタにもなり切らない、そのほうが突き抜けられそうな予感があったりして。


思考じゃなくて情熱や楽しさみたいな心で生きたいと思っているのだが、結局、これは思考からか、心からかって「考え」てしまっているわけで。「考えない」ように考えている。ドツボ。


ここまで書いてみて、またカレー神としゃべっていたら、見えてきたものもあった。「おくりびと」的なやつがやりたいのかもしれない、と。

似顔絵かポートレート。聞き書き。人生を終える準備人。それらをまとめて、その地区の人生の聞き書きブックをつくる。その人の好きな飲み物と食べ物と、得意料理のレシピ。一番大事なもの。庭、畑かな。お金っていう人がいたっていい。たのしく人生のおさらいをしましょうよ。

カレー神は語る。「聞き書きのよさは、普通インタビューされる人って有名人・成し遂げた人が多いけど、すべての人がそれぞれの人生を成し遂げてきたんだよ、それを書くことでじいちゃんばあちゃんが嬉しくなるんじゃないかな。子育てしてきただけよ、から、いい人生だったなあって気づきがあったりして。名もなき人の人生に魅力や価値がある。いい死に方ができる土地。」うん、そういうの大好物です。

鏡でいい。私がなにか新しく生み出さなくても、それぞれが面白いものを、資源を持ってる。それを、「ねっ」ってみせるだけ。すでに失われつつあるものを、欠片を拾い集めるみたいなことがしたい。私自身が苦しんで得られるものなんて、戦前や戦時中を生き抜いてきた人のそれと比べたらたかが知れてる。だったら、楽しくてしたいことを、自分が魅力を感じるものを集めていきたいよ。自分の暮らしを味わいながら。

いろいろ書いたけど、ただうまいインドカレーとおいしいごはん、海と温泉と湧き水のある、居心地のよいコミュニティ、そんな場所で暮らしたいだけ。そこに、「自分にしかできないこと」があればいいなぁとぼんやり思っているだけなのです。

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