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巡礼の旅を終えた自分に書く手紙

人に手紙を書くのがばからしくなった。

9月に思い立っていろんな人に手紙を書いた。
借りていた本に添えたり、おすすめの本に添えたり、手紙だけで送ったり。
手紙というのは、というか他者にするすべての働きかけは自己満足だというのに、返事が来ないことにしょんぼりしている。
LINEとかもあるし、忙しいだろうし、手紙を書くというのはほかのことよりずっと落ち着いた環境・状況が必要だろうから、しゃーないのだが。
それでも、すこし、寂しい。

話は変わって、(ここからが本題)9/30~11/10、フランスにて巡礼の旅に行ってきた。長い旅のこまったところは、いろんなことがありすぎて、振り返って文章を書くときに「どっから手をつけたらよいものやら」と圧倒されることである。かといって、友人・知人に「ネタとして面白いところ」だけ抜き出して何度も語ることによる陳腐化は避けたい。いや、いいのだが、せめて自分ならでは体験と意味づけをできたあとにやりたいそれは。

とはいえ、この巡礼の旅はすごく私的なものであった。はじまりも、学びも、終わりも。けれど、そのごく個人的な体験のなかに、普遍的な気づきもあったように思う。というか、ありました、とても!

そんな扱いにくい材料を、しかも山ほどある、どう料理しようか。どんな角度で切ろうか?どう煮ようか?生でイケるか?と悩むこと数日。

先延ばしにしている間に事件がおきてしまい、(5年間狂気のごとく書きまくってきたメモアプリを削除してしまい、数千件のデータが消えた。1つのメモあたり、2000~3000文字くらいのやつ。旅の日記も。出したい本のための文字おこしも。)復元方法にも悩む。(そもそも、復元しないほうがよいのかも)9日が経過。

現実逃避に、旅に行く前に読み終わった本のまとめをしていたら、いいアイディアが湧いてきた!「自分で自分に手紙を書く」のだ。
そしたら、返事がないことにしょんぼりしないでいいし。(出した手紙がすなわち返事なのである)私的だろうが、相手に役立つか悩まずに済む。私の手紙は私に役立つに決まっている。

創造はときに空を飛翔することにたとえられる。私たちは鳥の目よりも高い所から自分の人生や夢や他の多くのものを見る。創造の高みにいるときは、日常の制約―年齢、家庭生活での役割、社会の歯車であるという感覚―から解放され、大きく羽を伸ばす。その自由な感覚は、アーティストを増長させずにはおかない。だが、その感覚が延々とつづくわけではない。やがて着陸するときがやってくる。…創造的な飛翔の後、日常に一歩踏み出すことによって、私たちはある意味で、「お帰りなさい」という自分自身の親になる。私の生徒から同僚になったある女性は、この儀式の一環として自分宛てのはがきを書く。それには「よい仕事をしたね」と書かれている。…飛躍が大きければ大きいほど、自分を祝福する行為はますます重要になっていく。
 あなたに必要なのは、創造の飛翔の前や最中や後の人生や人間関係とつながっているという感覚なのだ。

p.290~293 創造の着地点を見つける,
ずっとやりたかったことを、やりなさい2 ジュリア・キャメロン 

というわけで、さっそく書いてみた。こりゃ、気が楽だ!

めぐへ

まず、この40日間の旅を私にプレゼントしてくれて、ありがとう!
これは本当に最高の贈りものだったと、自信を持って言えます。
私の欲しいものをよくわかっているあなただからこその、ナイスな選択でした。いま欲しいのは、本でも、モノでも、服でも、機械でもなく、この長い長いお散歩と、大好きなフランスの田舎の風景と、森のトンネルと、秋の木の葉が水に落ちる音、おいしいごはんと、それを罪悪感なしにとびきりの空腹とともに楽しめることでした。

スペインの中の道ではなく、ル・ピュイの道を選んでくれてありがとう。人の多い春夏ではなく、このタイミングで出発してくれてありがとう。日々湧いてくる自分の素直な欲求を、ひとつひとつ否定することなく認めてくれてありがとう。行く前にモンベルの軽くてあったかい寝袋を奮発して買っておいてくれてありがとう。日程に余裕をもった航空券にしてくれてありがとう。

旅のなかであった気づきについていろいろ報告したいのだけど、メモをなくしてしまったので、順不同で、伝えたいものから、思い出した順に書いていこうと思います。

いちばん大きい変化は、神さまと仲良くなれたこと。
今までは週1くらいにかしこまってお願いしたり、祈ったりする対象だった神さまが、もっと気楽で、マメに連絡できて、ゆるいけれど、最後まで安心して信じられる、そんな存在になった。
それは、世界との関係とも、不思議なことにアートとの関係とも、友達との関係とも相関しているように感じています。

神さま、あなたは、朝のお散歩中や立ち寄った教会で、私がこぼした思いやお願いを拾って、エレガントで予想もつかない面白い方法で叶えてくれましたね!私はあなたのことをしかめっつらの厳しいひとかと思っていましたが、どちらかというとお茶目でしばしばやりすぎる優秀な事務員、というイメージに変わりました。あなたの問題解決能力は本当にすばらしい!
(というわけで、私のなかのイエスは眼鏡をかけている)

もう一つは、困ったときに、あるいは困る前に、わりと早く周りの人に相談できるようになったこと。
Wi-Fiをシェアしてほしい、出発時間を早めてほしい、昨日の夜ごはんのデザートの残りが食べたい、宿の情報を教えてほしい、などなど。
助けを求める場面が本当に多かったから、助けが必要だ!となってから助けて!というまでのタイムラグをかなり短くできるようになったね。
これは助ける側にとっても、選択肢が増えたりとよいことが多いし、私にとっても不安な時間を短くできて、とてもよい。
「助けて!筋」のようなもので、頭でわかっていても、何度も使わないと使えるようにならない部位な気がする。

あとは、安心して一番ほしいものを満たすことが、その後に最高のものを得ることにつながるということ。
この組み合わせ、美味しい~!ともっとお昼のパンを食べたくなった時に、「いやでも夜の分がなくなる…このくらいにしとかないと」と思う私もいたのだけど、「でも食べたいんだもの!」と全部食べ切ってしまった日。
その日の夜ごはんは、泊まった宿のご主人のご厚意で、フォアグラとホタテとキッシュと白ワインとチーズ、という最高のメニューだったよ!

逆に「荷物を軽くしたいから、これが食べたいわけじゃないけど」と片づけるようにお昼ごはんを済ましたときの夜ごはんといったら。
野菜のクセが目立つスープに、焦げの香りがするレンズ豆の煮もの、おいしくないパンってどんな味か教えてくれるパン。お代わりをしたくならない夜ごはんが出てきた。

足が痛くなってしまって、日本で買った靴をフランスで買い換えるという事件も発生したけど、そのとき一番よいものを与えるということは長い旅を続けるのに不可欠なんだなと実感したよ。人生はこの旅よりさらに長い旅。日々の暮らしでもそういう選択をし続けていくことで、旅をよいものに、自分を旅を楽しめる状態に保てるんじゃないかと思う。これからも実験だね。

ほかのことは、また思い出したら書くね。

そして、うれしいお知らせです!あなたは飛行機のチケットを取るときに、この日程だと佐渡の紅葉を見逃してしまうなと、葛藤があったと思う。
でも、安心して!今年は気温が暖かい日が続いて、紅葉の見ごろが遅れたので、帰国後でも十分楽しめます。直観にしたがうとき、経験や知識から恐れが出てくることもあるけど、このように、すべてのタイミングは最善なのです。安心して、ピンときたときにポンとやる、そんなプレゼントをこれからもお願いします♡

めぐより

ちょっと英文和訳感が出てるのはジュリア・キャメロンの本を2日間読みまくったせい。笑 あと、向こうでGoogle翻訳を使うときにより修正が少なくて済む日本語文を書いていたからその癖かも?

とりあえず、書き始められた、とりかかることができた自分に拍手!乾杯!
つづきは気が向いたら。

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