正木さんから私が受けとったこと③
6.学んだことの10倍を生み出していくこと。
ー平和憲法を活かしていくという文脈で、聖書のタラントンの例えを引用されていましたね。ちょうど、旅の車中で友達に話した箇所だったので、驚きました。
(タラントンの例えっていうのは、めっちゃざっくりいうと、旅に出る主人が3人のしもべにお金を預けるのね。数字は適当だけど500万、300万、100万円ずつ。主人が返ってきたとき、500万と300万受け取ったしもべは商売して倍に増やしていた。100万うけとったしもべは地中に隠しておいた。前者は褒められてよりたくさんのものを管理させてもらえるんだけど、後者は追い出されて泣くって話。与えられたものを活かそうねという文脈で紹介される箇所。)
「教えられたことをただ守るんじゃなく、1教えられて10知る。学んだことの10倍を生み出していく。
面白い話をするね。ジャンタマンタのお寺で半年、乞食をやってた。
いまから50年前。ちょうどあなたぐらいの歳。
パスポートもなくしてた。誰かが持っていくから、なくてもかまわん。
修行してたんだ。
もらったものを食べるって消費生活だよね。サラリーマンと似てる。
そんなある日、2ルピーもらった。今の日本円で1000円くらい。
もらえなくて食べれないこともある中で。
心がぽっと喜んで、これで何食べようと考えていた。
そしたら後ろから、「そのお金を増やせ」って声が聞こえたんだ。
ニューデリーの真ん中で。
振り向いたけど通り過ぎる人ばかり。
それがぐさって刺さって、その日は食べられなくなった。
増やすってどういう意味だろう?
明くる日思いついた。
1人のお坊さんがいた。赤い服を着て、コップ4個、1日2時間だけお茶屋をやっていた。
お金が入るから、乞食に行かなくていい。
自分もお茶屋やろう。
ちょっと乞食に疲れとった。笑
知ってるお寺に行って、『ここの境内でお茶屋やらせてください。』って頼み込んだ。
2ルピーの
4分の1でコップ2つ
4分の1でお茶
4分の1と砂糖
4分の1でレモン
を買った。
全部使っちゃった。
お寺さんが薬缶と七輪を貸してくれた。
8杯すぐに売れた。2ルピー儲かって同じものを買った。
1週間経つうちにコップが10個になり、
2週間経つうちにコップが20個になった。
1日に何十ルピー動く。
1ヵ月に何百ルピーうごいて、大勢の旅行者を食べさせよったよ。
たった3〜4週間で、乞食がひとを食べさせられるようになったんだ。
あんまりお金の執着がなくなった。
忙しくなってしまった。
忙しさのコントロールの仕方がわからず困った。
お金は箱に入れてお釣り勝手に持っていってって言う方式にしたら、
1週間位で空になってたんだ。
仕入れもできない。
これで楽になった。
こういうことができるんだって、友人の高校生の女の子に話した。
その子キリスト教系のミッションスクールに行っていて、「マルコ伝にありますよ。」と教えてくれた。
日本に帰ってから、このお茶屋の経験から、レストランをやった。
自分で増やしていく。
ヨガを50年学んだ。インド哲学も。
インドの教えは、自分が解脱。自分が悟る、なんだよね。
僕はそれをすっかり、環境の、地球のお母さんの話にしちゃった。これがヨガなんだよ。
今の日本で必要なのは、自分がどう悟るかじゃなく、原発をどう止めるか。」
7.自分が生まれ変わるときには、古い自分は壊れるよ。
ー自然の摂理ってあるじゃないですか。私は、ルールがあるものには理由があると思いたい派なのですが、地球や太陽系の動きや法則に、もし意図があるとしたら、それはなんなのでしょう?
「太陽や光はその意図をダイレクトに教えてくれてる。
古い文明を壊して、新しい文明を生む。
誕生は、常に崩壊や死と同時にあるんだ。
自然でしょう。芋虫が蝶になるようなことだから。
ぼくらは飛べないって誰が言った?飛べるんだ。
自分が生まれ変わるときには、古い自分は壊れるよ。
それしかない人は、壊れることを怖がるよ。
手放しで壊してもらったらいい。
そしたら生み出してもらえるんだね。
崩壊にぼくらは抵抗するしれないけど、そのストーリーに意味はなく、オートマティックに進むんだ。
ぼくらにとっては、それに囚われてそのために走りまわるんだけど、
走りまわりながら達観したら、囚われないよね。」
この後、正木さんからは私は勢いがある状態とのことで、瞑想を勧めていただきました。勢いに任せて動き回る状態と、急に陥る無気力・無力感の状態を1週間周期でやってる私には、間違いなく必要でしょう。
宮崎行きのバスまで、まだ時間があるということで、夜ご飯までご馳走になりました。
大根おろしと納豆を絡めたあったかうどん。味の沁みたニシンの昆布巻き。バスの中で食べなさい、と握らせてくれた梅干しおにぎりと大きな干し柿。
旅の中では、しばしば奇跡が起こります。
本当に必要なものが、必要な出会いが、ベストのタイミングで与えられる。
それは、ただ移動しているときではなく、自分の心に従って軽やかに選択できたときにだけ、起こるのかもしれない。
日常でも、そんなふうに選んでいけたら、動いていけたら、毎日が旅のようになるのになぁ。
私はきっと、まだ芋虫で、木の葉っぱを狂ったように貪り食っている段階なのでしょう。
飛べるようになるために、別の何者かになるために、必死に努力する必要はないんだ。
ただ、自分に起こる変化を受け入れて、その結果として、飛べるようになっていたり、求めるものが葉っぱ(量)から、蜜(質)にシフトしていく。
そんなことに気づかせてくださった、あたたかい3時間のはなしでした。
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