2020年イラン旅 「チン」とか「コロナ」とか、ざんねんな差別に私は人間としての対話を放棄した
今日は私の大好きな13日の金曜日。なのでもういっこnoteを書く。
イラン旅、ザグロス山脈の後は、ゾロアスター文化の残る古い町、ヤズドへ。サービス精神旺盛でいい人なんだけど、いまいち私のしてほしいことや要望を聞いてないガイドさん。宿泊代節約したいから夜中の23時発、翌朝5時着のバスって伝えたのに、「23時着のバスだよ!VIPだよ~」とニコニコ乗車券を手渡してくる。「うう~また聞いてないじゃん。23時発でお願いしますって言ったじゃん!夜中に着いて、寝るだけなのに10ドルも払いたくないよ!」って言ったら、23時発に替えようとしてくれたけど、もうくたくただし、お腹の調子も良くないしで面倒になって「もういいよ。これで行くよ。」とお伝えする。(すげえ面倒な客だなって思うけど、海外では自分の要望をちゃんと伝えるのは大切だと思う。)
この、シーラーズからヤズドのバス(VIP)は正直最悪だった。いや、最悪とまではいかないけど、うるさかった。とっても。
なんかイラン映画が上映されてたんだけど、音量が耳を塞ぎたくなるくらい大きいし、しかも爆発と殴り合いだし、登場人物テンション高いし。言葉の意味わかんないし、疲れたし。しかも、イランの人々は、スマホの動画や音楽を、イヤホンなしで楽しむんですよ。バスの車内で、結構な音量で。うるさい中で聴こうとするから、音量上げるし。
「うるせ~」って思わずぼやいてしまうくらい、騒々しかった。この時はもうかなり、感じ悪い人だね。さすがに9~10時以降は静かになったけど。耳栓必須です。
23時にほぼ無人のヤズドのバスターミナルに到着。シルクロードホテル(友人の紹介ということで安くしてもらった。ガイドさん、いい仕事もしてくれたんです。)には、タクシーで向かう。(130円くらい)
このタクシーとおじいちゃんがなんともよかった。
イランでは珍しく、おじいちゃんは無口。バックミラーには緑色のキャペレッツ(数珠)が揺れる。スピーカーからは、コーランの朗読だろうか、低くて心地の良い音が流れている。私は疲れ切って、じっと窓の外の景色をながめていた。眠いような、心地いいような。束の間の癒しの時間。
ホテルについてからは、やっとゆっくり休める・・・!
と思いきや、例のトマトポテト(というか私の食い意地)にやられたお腹が、休ませてはくれなかった。
トイレとベッドを往復する。トイレでは冷や汗と呼吸が早くなる、やばい症状がでていたし、ベッドに横になればお腹から聞いたことのない音が聞こえてくる。(春の小川のせせらぎ、みたいな音だった。キュルルとがグルルとかではない、サラサラ~というかチョロチョロ~みたいな音。私のお腹は唐突に春の里山とつながってしまったようなのである。)
とりあえず、機内食でとっておいた塩をミネラルウオーターに溶かして、水分補給しつつ、ひたすら寝る。朝になっても、昼になっても、寝る。
なんのためにヤズドにきたんだ、トイレに行くためか。ホテルのベッドで過ごすためか。
夕方になってやっと、のろのろとベッドから起きだし、ホテルのすぐ近くのヤズドモスクに行ってみる。
ここのお土産&本屋さんのおじさんがおもしろい人だった。1年前からここで働いていて、いろんな国の人が訪れる場だから、と来た人にその人の国の言葉を教えてもらっているのだという。
大きな辞書みたいな分厚いノートには、本当にいろいろな国のことばが書き連ねてあった。たくさんの旅人の筆跡。「こんにちは」や「ありがとう」だけでなく、「何かお困りですか?お手伝いできることはありませんか」という日本語まで書いてあった。なんかいいね。
おじさんの座っていた椅子の横に居座って、言葉の話や、お腹を壊した経緯を話す。奥さんと小学生の二人のお子さんが待つ家に招待されたけど(都市部では初めて!)、行ってもこのお腹ではなにも食べられないし、バスに乗るのもしんどいし、それにホテルのチェックアウトの時間はとうに過ぎている。
そんなわけで、そのお誘いは泣く泣く辞退したのであった。
おじさんは最後に、「いつもおやつを食べていたんだけど、いまはダイエットをしていて低脂肪のヨーグルトにフルーツを入れて食べてるんだ。」といって、ビニール袋に入った低脂肪ヨーグルトを半分わけてくださった。甘味はないけど、春の小川になってしまった私の腸にこれ以上にぴったりな夜ご飯もないだろう。ごちそうさまでした。
この後、ヤズドの旧市街をちょっと散策したのだけど、イラン名物、アレに出くわしてしまったのである。(たしかシーラーズでもあったと思う。)
アレというのは、アジア人をみると「チン?チョン?」「ニーハオ!」とニヤニヤしながら聞いてくる、若者ときどきおっさん、のこと。
数々のイラン旅行者を辟易させてきたこの出身地確かめ挨拶。
今年はこれに「コロナ?」も加わり、めんどくささ倍増。
これはどう返すのが正解なのか、よくわからなかった。
「ニーハオ」には「サラーム」って返してた。時々「ニーハオじゃなくてこんにちは!だよ~」って言ってみたり、「ニーハオ!」って返したりしてみてた。(ちなみに馬鹿にするようなニヤニヤと「ニーハオ」はオランダでもあった。)
「マンアズ ジャポーン アウマダーム(私は日本人です)」っていうと大抵「おー日本!日本好きだよ~。イランは楽しい?お茶飲んできな!」ってなるから、そのまま旅の話とかしちゃうんだけど、なんかそれもしっくりこなかった。
「私は日本人ですが、イランの人々も中国の人々も好きです。それはどういうつもりで聞いているの?中国の人を馬鹿にしているように感じるんだけど。」とか
「そういうことしなければ、イランは最高の国なのにって言ってる旅行者けっこう多いよ」とか
そういうこと言えばよかったのかな。でも、レイシズムとか、そこまでいかなくても「その人がなんて名前か」より先に「どこの国から来たの?」って質問しちゃう日本人は多い。(これをされた友人は「みんな私が誰かより、私がオランダ人であることのほうが重要みたいね」と穏やかに怒っていた)
私のなかにも、○○人はこういうタイプ、こういう傾向、みたいなステレオタイプ化(相手の人格を無視する)とか、レッテル張りをしている部分もある。ルッキズムもある。ほかの人間を差別してたことは間違いなくあっただろうし、いまも、気づいてないだけで差別と言われてもしかたない行動をしてるときもあるだろう。
そんな私が「中国人差別はやめろ!」って何様なんだろうね。
これは、イランって国を危険な国!ってメディアの情報だけで判断してる多くの人も同じだ。(イランに来るまでのわたしもその一人)
もっというと、旅の後半でちょっと疲れてたし、お腹は下してるしで、正直、差別に対して共感や対話を放棄したい気分だった。
そんな私がアンティークお土産やさんで見つけた、ヒツジのベル。
あの、ザグロス山脈で私をハラハラさせた、でも心地の良い音。
一晩寝かして値切って買った、400円のヒツジのベル。
耳で味わえる(しかも何度でも!)お土産ってよくないですか?
手に入れてあんまりにも嬉しかったので、手提げにぶら下げて、夕方の旧市街を歩く。カランコロン。(すれ違ったカップルに二度見される。)
そしたら、いままで「チン!」とか言ってきた兄ちゃんが「メエ~~」って言ってきたのである。からかってるには変わりないんだろうけど、そのニヤニヤには、別の感情が混ざっているように見えた。「なんだ、この面白いやつ!」みたいな。
すかさず、渾身のオーストラリアの牧場仕込みのヒツジの鳴きまねで「べエエ~~」と返事。笑う兄ちゃん。私も笑う。
そんなやりとりを、子どもも含めて5人くらいやった。
そしたら、なんか、私が何人か、とか、どこから来たかとか、どうでもよくなった。向こうだって、一番知りたいのはそこじゃなくて、「面白いやつに一瞬絡みたい」くらいの好奇心なんじゃないか。
人種差別とか差別って、自分の経験や知識に基づいてめっちゃ熱くやってるひとって、きっとごく少数で、ほとんどは相手への思いやりや想像力がちょっと足りない、無自覚な差別がほとんどなんじゃないかな。受け取る側はそうは感じないと思うけど。(台湾か香港の女性が、「イランでどこに行ってもチンチョン!コロナ!って言われて悲しい、しかも場所ちがうけど」ってインスタで語ってる動画を例のガイドさんが教えてくれた。)
これからは、名前より先に「何人?どこから来たの?」って聞かれたら「ベエエ~~」か「メエエ~」って返そうかな。
あと、控えめに言ってヤズドの旧市街は最高だよ。いつまででも歩いていられるよ。結構好きだよ。お店も人も街並みもアンティークショップの多さも。(ただ、すごい可愛いカップ!を見つけたら、日本製だったから買うのやめた。高いし)
では、みなさま幸せな13日の金曜日をお過ごしください。