存在感

 身体はその全てが他者を感知するセンサーである。肉体的に触れ合う以前にも五感を通して他者の存在を感知すること、存在感に触れることがすでに私たちの身体的レベルでの交流となっている。存在感とは五感の総合であり、身体的なものであり、これを通して、ここにおいて心が交流する。相手の存在感によって身体が暖かくなったり寒くなったりするのはそのためである。五感の総合に心が乗っかったものが存在感であり、それは肉体的触れ合いを抜きにしても他者と交流する身体である。
 ここで宮澤賢治の次の詩(『春と修羅』より)を思い出したい。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 自己の身体は他者の存在を感知する、存在感に触れて交流する触媒としての身体は風景とひとつになっている透明なものであり、肉体的接触によらずしてすでに他者と交流している。賢治の描いた実存はそのことを見据えたものだったのではなかろうか。

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