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【安曇野から発信する潤一博士の目】13~里山の誕生
天満沢の扇状地には、森のおうちのまわりを含めて、アカマツの林が多い(ただし近年、マツクイ虫の被害で、アカマツ林の伐採がすすんでいる)。アカマツの林は、どんな歴史を秘めているのだろうか?
安曇野市豊科田沢の山地にゴルフ場がある。まわりにはアカマツの林が残っている。その造成工事に先立って、当時の豊科町教育委員会は、須恵器を焼いた登り窯の発掘調査を行った。
私は花粉分析を担当し、大変面白い結果を得た。ゴルフ場予定地の現植生はアカマツ林で、山腹には7~8世紀の登り窯がたくさん残されていた。谷底の湿地から泥を採取し、花粉化石を調べた。登り窯の時期に植生は、コナラ、ブナ、ハンノキなどの落葉広葉樹とモミ、トウヒ、カラマツなどの針葉樹が多く、マツは多くなかった。また、窯跡に残っていた炭は、クヌギ、コナラが多く、住居跡では、モミやクリの材が多かった(岡田文男、1999)。これらのことから、7~8世紀に、調査地一帯には、落葉広葉樹に、モミなどが混ざる針広混交林が広がっていたことがわかる。これが縄文時代から続く、原生林である。その後、奈良時代、平安時代に、須恵器生産の登り窯燃料、炭の原料、互づくりの燃料、寺の建築材、田畑の開こんなどで、原生林は急速に失われ、その後に、2次林としてアカマツ林が広がったもので、これが里山の誕生である。近畿地方では、5世紀から原生林の喪失、アカマツ林の拡大が始まっている(西田、1977)。
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花粉化石の調査結果
〈豊科ゴルフ場の登り窯などにのこっていた炭〉
岡田文男(1999)は、登り窯、炭窯、住居跡に残っていた炭や炭化材を調べた。その結果、
登り窯:クヌギ、コナラが多く、カバノキ科、ニレ科、カエデ科
炭窯:クヌギトコナラが多い
住居跡:モミが多く、クリも比較的多い
※アカマツはどこにも出土しなかった。
〈原生林を消失させた主な出来事〉
・須恵器生産の登り窯燃料(5世紀頃から)
・寺の屋根瓦を焼く燃料(741年に国分寺創建の命令、7世紀ごろから寺の屋 根は瓦ぶき。全国に545寺あり)建物本体にも大量の木材を使用
・製鉄用の炭(6世紀中頃から製鉄が始まる)
・田畑の開墾
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(地質学者・理学博士 酒井 潤一)
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