【画家・絵本作家の声】舘野 鴻さん「虫たちはこう生きている。私たちはどうか」~舘野鴻作品展によせて
こんにちは、森のおうちの米山です。
10月7日から、絵本美術館 森のおうちでは、「舘野鴻作品展~問いかける生きものたち」が始まりました。
舘野 鴻さんは、幼少時より熊田千佳慕氏に師事、土木作業員や生物調査のアルバイトの傍ら、現代美術の創作や音楽活動を続け、その後、図鑑の標本画や解剖図、景観図などのリアルイラストを描く仕事に従事。2005年より絵本創作を始めました。
自ら、昆虫の観察・実験を含む生物調査をしながら絵本を創作、小さな生き物たちの生きざまを通して、自然界・宇宙の中での人のあり方を問う作品を作り続けています。
今回は、舘野さんに展示に寄せてのコメントをお願いしたところ、「虫たちはこう生きている。私たちはどうか。」と題して、舘野さんと当館との出会いから始まり、絵本のあり方についての熱い思いまで、展示への思いを寄せて下さいました。
ご紹介させていただきます。
(以下、舘野 鴻さんの文になります)
「虫たちはこう生きている。私たちはどうか」
絵本美術館・森のおうちとの出会い
森のおうちさんとの出会いは2017年。この年、田淵行男記念館で『ぎふちょう』の原画展を開催していただき、その折りにご挨拶に伺ったのがはじまりです。
私は偉大なナチュラリスト、田淵行男を若い頃から敬愛していました。田淵行男は安曇野に住み、謎であった高山蝶タカネヒカゲほか、多種の高山蝶の生態を解明し、そのドキュメントを迫真の写真と文章表現、さらに細密な描画により、科学的かつ文学的でデザインにも優れた美しく重厚な写真集を何冊も残した人です。
タカネヒカゲへの憧れ
私が絵本の仕事をするようになってからは、田淵行男のような絵本作品が作れないものかと常々思っていました。
偕成社の『しでむし』に次ぐ二作目は『ぎふちょう』でしたが、もともとはタカネヒカゲを描きたいと企画を出しました。
41歳で絵本作家としてデビューしましたが、タカネヒカゲを描くには、まず高山へ通う体力と財力、そして高山蝶をテーマとして描く必然性がなけれなりません。当時の私にはそうした力がありませんでした。高山帯は言わずと知れた過酷な環境で、特に稜線はじわじわと風化、崩壊し続ける露岩地が占めており、強い日差しや寒風、積雪などによりほとんど植生が発達しない、まさに荒野です。そんな場所をわざわざ選んで、ヒメスゲやイワスゲというか細い単子葉植物がまばらに、しかし力強く根を張っています。タカネヒカゲの幼虫はこの草しか食べません。食べ物がここにしかないのですから、この蝶は高山稜線の過酷な環境でしか暮らすことができません。地味で弱々しく存在感もない蝶ですが、人も住めないような極限環境で風雪に耐え生き続けるその姿を、同じく高山の稜線で生き抜く生き物たちと共に描きたいと思いました。
さらにタカネヒカゲは天然記念物で採集はもちろん禁止。それだけではなく、常念岳は中部山岳国立公園であり、この蝶の生息域は自然公園法で定める特別保護地区にあり、登山道から外れたり、生物も石も枯れ草を持ち帰ってはいけません。違反者は逮捕です。ですので、取材をしたいからといって勝手なことしてはなりません。それをクリアするためにはたくさんの書類を準備して関係機関に許可申請し、許諾を得なければなりません。その高いハードルがこえられるのか。それに、タカネヒカゲを描きたいから描く、というような個人的な趣味で仕事はしたくない。なぜタカネヒカゲを描くのか、もっと自分のなかで明瞭かつ壮大な意義も必要でした。
その思いは潰えず、48歳になったとき、ダメでもまずはアタックしてみようと田淵行男記念館へ出向き絵本制作の協力をお願いしました。すると、職員の方々は快くその思いを受け入れてくださいました。このとき、田淵行男の写真集にもあるギフチョウを主役に据えた拙著『ぎふちょう』の原画展のお話をいただき、冒頭の原画展に結びついたのです。
常念岳に通う
その翌年2018年は、森のおうちで「宮沢賢治のどうぶつ絵本原画展」が企画され、光栄なことに、私が作画を担当した絵本『宮沢賢治の鳥』を出品させていただきました。
この年から、私の常念岳通いが始りました。常念岳は中部山岳国立公園であり、高山帯は自然公園法の特別保護地区に指定されています。ですので、登山道から外れず、自然物に改変を与えない「普通の登山」の行動内容での予備取材をこれまで10回ほど重ねていましたが、2020年には安曇野市文化課、環境課のご協力をいただきタカネヒカゲの採集許可(文化財の現状変更許可)が下り、現在は自然公園法特別保護地区での取材許可の申請中で、この許可が下りたら本格的な調査、取材を始めることになります。
こうして安曇野通いが続いていますがその都度、森のおうちさんに立ち寄り、お茶やランチをいただきつつ、児童書についての熱いお話を交わしてきました。
また、登山の前泊でコテージを利用させていただいたりと、私にとって森のおうちは、厳しい山岳取材のオアシスのような場所でもあります。
虫の絵本
ところで私は建前上絵本作家のようになっていて、虫の絵本ばかり描いてきました。虫は嫌われ者ですし、好き嫌いが極端に分かれる傾向があります。気持ち悪いし、どうしても一般的には排除される対象です。
いつか森のおうちさんで展示をしてもらえたらなあと思ってはいましたが、虫の絵は見る人を選んでしまいます。入場者が減るようなことは私もしたくありません。
実際に、虫の絵を展示するとお客さんが来ないのでやめてほしいと言われたことも多々あります。
2022年は、それまでの技法や表現内容が異なる4冊の本が出版となりました。
直接「虫」が描かれたのはわずかに一作品、『うんこ虫を追え』(福音館書店たくさんのふしぎ)のみです。
この本では2016年から行なっているオオセンチコガネとセンチコガネの生態研究の様子が描かれています。絵は細密画ではなく、鉛筆に淡彩というラフな描き方です。
『みかづきのよるに』は、ある夜の数十分の出来事をソフトパステルを用いて指で描いています。
『ソロ沼のものがたり』は絵本ではなく、連作短編の小説仕立てです。
こちらは擬人化された小さな生き物を文章と挿絵で描いていますが、挿絵に虫の姿はありません。
『ねことことり』は私が原作を書き、なかの真美さんが作画をしました。こちらも猫と小鳥しか出てこなくて、花などの植物が描かれているだけです。
これなら大丈夫であろうと、森のおうちのスタッフの方々の寛大なご決断により、今回の「問いかける生きものたち〜舘野鴻作品展」という企画を叶えていただきました。
対話の窓口
絵本は多様であるべきで、子どもの多様な性質や取り巻く環境に対応したものがすぐに手に取れることが大切かと思います。また、子どもたちの体の中に潜む無限の可能性を引き出すきっかけともなるでしょう。
虫を細密に描いた本は売れませんが、そうしなければ伝わらないことがあり、それを必要とする人だっているはずです。
絵本は新しい世界の見方と未来を示すことだってできるし、そこに示された虫の生き様が力を失った人を励ますことだってあるはずです。
「虫はこう生きている。我々はどうか?」
ひとつの視点として、私はこの問い方をやめない。
無垢で潔く勇敢な虫の生き様を見るとき、我々が失っているなにかが見えてはこないか。
私の絵本は虫を科学的な視点で描いているから「科学絵本」として扱われがちですが、物事を科学的な視点で見るのは当たり前のことです。人が積み上げてきた科学知や生活知にはいつも敬意を持っていますが、私は科学のようなものが苦手だから、余計にそこへ注意を払うのです。私はカテゴライズされた「科学絵本」を描いているつもりはなく、文学、美術、歴史、音楽、教育に至るまでを意識した一般の絵本を描いているつもりです。
誰に求められているわけでもない役立たずの絵描きだからこそ、どうやったら役に立てるのかとずっと考え続けてきました。
今でも考えています。
私の描く絵、書く文字は芸術でも主張でもなくただの祈りです。
そして、私にとっての大切な対話の窓口です。
展示をご覧いただいたひとりひとりと対話がしたい。
そう思っています。
舘野 鴻 2022.10.5
「問いかける生きものたち~舘野鴻作品展」
【展示作品】
ちいさなかがくのとも『みかづきのよるに』 たての ひろし/作・絵 (福音館書店
たくさんのふしぎ『うんこ虫を追え』 舘野 鴻/文・絵 (福音館書店)
『ねことことり』 舘野 鴻/作 なかの真実/絵 (世界文化社)
『ソロ沼のものがたり』 舘野 鴻/作 (岩波書店)
『つちはんみょう』 舘野 鴻/作・絵 (偕成社)
※以上、全原画を展示
『しでむし』『ぎふちょう』『がろあむし』表紙絵 舘野 鴻/作・絵 (偕成社)
教科書図、解剖図、他
10月10日(月・祝日)
ワークショップ「たてのくんと森のおうちの森を探索しよう」
11月26日(土)
対談 : 舘野鴻×酒井倫子(森のおうち館長)
~虫たちはこう生きている。私たちはどうか?~
最後までお読みいただきありがとうございます。 当館“絵本美術館 森のおうち”は、「児童文化の世界を通じて多くの人々と心豊かに集いあい、交流しあい、未来に私たちの夢をつないでゆきたい」という願いで開館をしております。 これからも、どうぞよろしくおねがいいたします。